2024年11月14日木曜日

新ブログへの移行のお知らせ

昨年からキャリアが新しいフェーズに入ったことに伴い、 新ブログに移行することにしました。5件ほど投稿が溜まってからこちらでお知らせしようと思っていたのですが、5つ目の記事を書いたのでお知らせします:

https://tkihara.hatenablog.com/

こちらのブログは特に消したりすることは考えていませんが、今後は上記サイトで更新を続けようと思います。

よろしくお願いします。


2024年8月17日土曜日

近況報告:就職から1年経過、論文、子育てなどなど

最後の投稿から1年以上経過してしまった。自分の身近にいる方々は状況はご存知だと思うのだが、ようやく一息つける状態になったのでブログ再開。


1. 就職

2023年9月1日付で慶應義塾大学SFCの専任講師(Assistant Professor)になった。ちょうど今月末で着任1年目が終わることになる。

誰がどこの公募面接を受けているかがリアルタイムでわかる北米と異なり、日本は就活プロセスに関する情報を公にすることが好まれないのでブログでは書かなかったが、博論が仕上げに入っていた2022年冒頭から公募戦士になり、アメリカ、カナダ、日本の大学でAssistant Professorの面接・ジョブトークをし、最終的に日本に帰国する選択をした。

本所属は大学院政策・メディア研究科で、総合政策学部を兼任している。慶應は基本的には多くの教員が学部所属なのだが、大学院が本所属の教員も存在し、私もその一人だ。私の場合、大学院所属に何か意味があるわけではなく、ちょうど私が採用された時の教員枠の都合で政策・メディア研究科所属ということになっている(らしい。)帰属意識ということでいうと、「SFC所属」というのが一番強く、おそらく同じキャンパスで働く他の多くの先生もそうだと思う。

昨年秋学期は講義2コマ(社会動態論、ポピュレーションダイナミクス)、研究会(ゼミ)2コマ、今年の春学期は講義2.5コマ(総合政策学、社会構造分析、方法論探究)、研究会2コマを担当した。


2. 論文

2022年の8月に投稿し、2023年5月にR&RになったDemographyの論文は無事に2024年6月に2回のR&Rを経て掲載された。割と大改訂のR&Rだったのだが、昨年の6月にUCLAでの歴史アーカイブで資料収集作業をできたことはとても大きかった。

もう一つの論文も2023年の8月にSFからMajor R&Rがきたのだが、こちらは結局、改訂をする時間が取れずに諦めることになってしまった。時間が取れなかった理由は専任講師になって新しい講義の準備や校務に追われていたということもあるのだが、後述する理由が一番大きい...(今、コメントを基に直して、別のところに投稿するために準備中である。)


3. 息子の誕生

今年の3月に子どもが産まれた。ちょうど今週5ヶ月になったところである。着任のドタバタ(講義準備、校務)と、子ども誕生の準備で年初は少し身体に不調をきたしてしまっていて研究は滞ってしまったのだが、一番大事な所属大学の教育と校務は滞りなくこなせて本当に良かった。これには妻や妻の実家のサポートが大きかったので、とてもとても感謝している。

職に就いたこと、子どもが産まれたことで価値観が大きく揺らいでいる。これまで大切にしていたことが大切ではなくなったり、これまでとは全く違った視点でモノゴトが見えてきたりと、誰でも経験することなのだとは思うが、自分の変化に自分自身(の一部)がついていけてない不思議な感覚もする。

2023年7月6日木曜日

近況報告:R&R

先日、Dから9ヶ月の間査読結果が返ってこないということを嘆いていたが、9ヶ月半でようやくR&Rがきた。ちなみにR&RというのはRevise and Resubmitの略で、「レビュワーの要求に従って修正したら論文が掲載されるかもしれない」という状態である。今回は修正に6ヶ月の期間をいただいた。

R&Rというと何かネガティブなことみたいに考える方もいるようであるが、かなり喜ぶべきことで、例えば、米国の社会学の就活戦線ではDからR&Rをもらっていること自体をアピールに使う人が多い。35歳になるまでに載せたいと思っているトップジャーナルで、これまでのトライではここはリジェクトばかりだったのでR&Rになったことはとても感慨深い。期待が上がった分、どうなるかとても不安ではあるが、焦らずにできることをしようと思う。

勢いにのって(?)、塩漬けにしてあったもう一つの論文もSFに投稿した。とりあえずステータスがAwaiting Reviewer Scoresに変わったので、デスクリジェクトにはならなかったようである。こちらが返却されるまでにDの方の再投稿をすることが当面の目標である。

ロサンゼルス滞在は今日が最終日であと5時間後に飛行機で東京に向かう。

2023年7月1日土曜日

Summer Institute in Computational Social Science (SICSS) @UCLAに関するメモ

 3週間の予定でロサンゼルスに滞在中である。目的はSummer Institute in Computational Social Science (SICSS) という計算社会科学のサマープログラム(最初の2週間)、UCLAの図書館のアーカイブでの60年前の日系移民関係の調査の原票の閲覧と関連資料の収集(最後の1週間)である。昨日で2週間のサマープログラムの方が終了し、今日は休日にしてホテルにいる。

UCLAのキャンパス

SICSSは毎年、夏季に世界中(東京を含む)で開催されている主に社会学、政治学、統計学、計算機科学の研究者が中心となって組織している計算社会科学の方法論に関するサマープログラムであり、講義、ワークショップ、グループワークがその内容である。2017年に社会学のビッグネームのChris Bail(デューク大学社会学部教授)とMatthew Salganik(プリンストン大学社会学部教授)が中心となって始めた。日本の社会学系の若手研究者の方もSICSSに興味がある人は多いと思うので、簡単にホームページからは分かりにくい実情や感想をメモしておく。

1)ロケーションによって内容に一定の違いがある

SICSSは毎年、夏季に世界中(東京を含む)で開催されている。かつてはレクチャーを統一していたようだが(オンラインでレクチャーが見れる)、現在は各ロケーションの主催者によって、内容に違いが出てくるようだ。

私が参加したUCLAでのSICSSはJennie Brand(UCLAの社会学・統計学教授)が代表で、UCLAの人口学センター(California Center for Population Research)で開催されており、講師陣もUCLAの社会学部、統計学部の関係者が多かった。

よって、講義やワークショップの内容も観察データ(observational data)を用いた因果推論や因果効果の異質性の話が中心で、通常の社会学のコースワークでも扱うような内容(例:傾向スコア)から、まだあまり流行っていないDouble Machine Learning(一種の機械学習)を使った代替アプローチ等の内容が中心的だった。実験、ネットワーク分析、テキスト分析、自然言語処理も講義やワークショップに組み込まれていたが、そこまで時間は割かれなかった。おそらく、例えば、政治学の先生が主催しているような大学では、実験が多くなったりするのではないかと想像する。

教科書はMatthew SalganikのBit by Bit: Social Research in the Digital Ageビット・バイ・ビット--デジタル社会調査入門』というタイトルで邦訳が出ている)が指定されており、参加前までに読んでおくように指示されたが、これに基づいて授業をするということはなかった。ワークショップ等で使う言語はRであるという縛りはあるので、Rには慣れておいた方がいいが、普段Rを使わない人も、事前にビデオで勉強することができる。

2)参加者構成は公式HPからイメージされるよりも若かった

公式HPでは対象はAdvanced Ph.D students、Postdoc、7年目までのAssistant Professor(日本でいうテニュアトラック助教や専任講師)ということなっており、大多数がPh.D. Candidate以上(Ph.D.課程の4-6年目のことが多い)なのだが、博士1-3年目の方などもいたので、興味があればとりあえず博士1年目の方などでも応募してみるのもいいのではないだろうかと思った。Assistant Professorは1-3年目の人が多かった。

分野は半数程度が社会学・人口学、その他半分が統計学、心理学、計算機科学、政治学等であった。ただ、事前知識はバラバラで、エスノグラフィーをメインに使って研究をしており、統計ソフトを使った分析に慣れていないというような人もいた。

3)参加費は無料、選抜は緩めか?

2023年のUCLA主催のものに関しては参加費は無料であった。通常、こうしたサマープログラムは高額のことが多いので、これはとても良いことだと思う。ただ、参加にあたっての交通費や宿泊費は自分で捻出する必要があった。

参加にあたってはCVと参加希望理由書を提出しての選抜があるが、そこまで厳しい選抜ではないと思われ、基本、エントリーすれば参加できると思う。ただ、参加者の所属大学やバックグラウンドを多様にすることを重視するとは思うので、属性によって選抜されやすくなったり、されにくくなったりすることもあると思う。また、ロケーションや時期によっては厳しい選抜がある場合もあるのかもしれない。

4)  感想

2週間参加して「とても良かった」と思っている。内容は半分程度は既知の内容だったが、機械学習を使った因果推論やテキスト分析は、あまり触れたことがなく、新しい内容で、自分の研究にも応用できるのではないかと思った部分もあった。ただ、現時点では、他人の論文を読んだときに何をしているかがよりよく理解できるようになったという感じである。

またUCLA社会学部・人口学センター関係者には自分と研究関心が近い人が多く、UCLAの関係者と2週間を通して知り合って、研究に関する交流ができたことも大きな成果になった。

2023年6月14日水曜日

Ph.D.取得&Phi Beta Kappa選出

5月28日(日)に大学院修了式があり、Philosophiae Doctor(Ph.D.=日本でいうところの博士号)が授与され、ようやく正式に名前にDr.がつけられるようになった。本当ならプロビデンスまで飛んで、ブラウンのスクールカラー(文字通り茶色)のガウンをきて、卒業行進行事に参加したかったが、既に日本に戻っており、そのためだけに渡航するお金もないので、インターネットで日本から博士修了式を試聴していた。


博論審査の時に撮った社会学部の写真


Ph.D.取得にあたり、Phi Beta Kappa(ファイ・ベータ・カッパ)に選出された。Phi Beta Kappaというのはアメリカの終身制のhonor society(栄誉団体)で、四年制大学の学業優秀者に会員としての栄誉を与えて表彰する団体であり、18世紀半ばから存続しているらしい。

卒業式の前に、各大学の成績上位5〜10%くらいの学生が招待される。アメリカの研究者の履歴書(CV)では、学位欄で、"B.A., in History, Amherst College, Summa Cum Laude, Phi Beta Kappa"のような形でSumma Cum Laudeなどの成績に関するラテン語の栄誉称号(Latin Honor)の後に続けて言及されることが多く、自分もよく目にはしていた。

ブラウン大学からは、2023年5月の学位取得者(学士号から博士号まで全てを含む)2000名程度のうち、165名が推挙されたらしいのだが、どういう風の吹き回しか、大学院生として選ばれたのは私1人だけで、その珍しさから社会学部ニュースで取り上げられた。不思議に思い詳しく調べてみたところ、基本的にはPhi Beta Kappaへの選出は学部生に限定されているが、一部の大学では、例外的に大学院生をPhi Beta Kappaにする制度を設けているところがあるとのことだった。学部長の先生からは、大学院担当責任教授の強い推薦で、社会学部として正式に私の名前をPhi Beta Kappaのブラウン支部に送付したという経緯だけ後から教えていただいた。ただ、様々な学部から推薦された院生のうち、なぜ私だけが164人の学部生に混ざって選ばれたのかという謎は残ることになった。

なお、Ph.D.取得は研究者としての就職に際して必須だが、Phi Beta KappaにはCVのAwards and Honorsの一行以上のメリットはなく、特筆すべきことではない。ただ、「極東」からきた留学生の私をPh.D.取得にあたりアメリカの歴史ある名誉団体に推薦してくださった社会学部の先生方の気持ちには感謝しており、ブログに記録として残しておくことにする。


2023年5月9日火曜日

論文の査読結果が9ヶ月経っても返ってこない...

今日は標題の件について少し書きたい。昨年の8月初頭に社会学/人口学分野の某トップジャーナルに投稿した論文、投稿してとうとう9ヶ月が経ったことに気づいた。長くかかっているのは私だけでははないようで、自分の友人(の友人複数)や、ネットの掲示板、Twitter等さまざまなところで6ヶ月以上経ってデスクリジェクトされた話や、10ヶ月経っても最初の結果が返ってこない話などを聞いた。昨年春に編集委員長が変わるまではデスクリジェクトに1−10日、査読に回っても3ヶ月程度で一回目の査読が返ってきていたので、とても大きな変化である。

なお、私の論文は、忘れられているわけではないようである。5ヶ月目に問い合わせたところ、「あと2−3ヶ月待ってくれ」と言われ、7ヶ月目に問い合わせをしたところ、「3つの査読レポートのうち、1つは返却され、あと2つを待っている」という返事だったので、デスクリジェクトは免れ、査読には回っているらしい。

通常、社会学/人口学分野のジャーナルは、デスクリジェクトの判断は投稿から(遅くとも)2ヶ月以内、(査読に回った場合の)第一回査読結果通知は5ヶ月以内、修正を含めた第N回目の最終査読結果(N≦4)が18ヶ月後くらいには出る(というのが私の理解だ。)今回の某ジャーナルは、私の論文も含め、一部で著しく審査が遅れているということになるだろう。

業界のトップ誌はその学術的な意義に加え、投稿している研究者の就職、テニュア、昇進、異動等の様々なキャリアプランを左右するため、編集委員会の責任は大きい気がしている。

もちろん、日本の学会誌のように編集委員長や編集委員になることにそこまで大きなメリットやインセンティブがない場合には、あまり強く非難はできない(むしろ忙しい中編集を引き受けてくださっている側面が強いので感謝をしなければならないだろう。)しかし、今回のような国際的に当該学問全体を代表するジャーナルの場合、(公募で選ばれる)編集委員長になることは非常に名誉のあることであり、(仕事量に対して額は見合わないかもしれないが)給料も支払われているのではないかと予想する。また、編集委員長を経験した場合、その後のキャリア(例:別の大学へ移籍、「冠教授」へランクアップ等)にも強くプラスになるのではないかと思う。

私のような若手にはわからないさまざまな事情があるのだろうし、裏の事情を詳しく知った場合には同情するのだとは思うが、駆け出し若手研究者の身からすると、「もう少しなんとかできないものか」と思ってしまうのも許してもらいたいところではある。


2023年4月29日土曜日

帰国報告: 怒涛の2ヶ月

3月末に日本に帰国し、5年半にわたるアメリカ生活に終止符をうった。2月3日に博論を提出してからのアメリカでの最後の1ヶ月は、博士課程修了にあたる事務手続き、帰国にあたる各種手続きや調整、アメリカの賃貸アパートの解約、荷物の郵送手続きがあり、帰国後の数週間も、首都圏でairbnbとホテルを転々としながら、東京と神奈川でのアパートの内見を続けていた。

紆余曲折あったのだが(*)、なんとか手頃な価格の賃貸物件を見つけることに成功し、入居し、住民票を移し、家具も全て揃え、今日、2ヶ月ぶりに一息をついてブログを書いているところである。

4月からは日本学術振興会特別研究員PD(いわゆる「ポスドク」)として研究を再開している。学振PDは採用予定の4月1日までに博士号が授与されていることが条件だが、「海外の大学」で博士号を取得した人に関する特別規定があり、学位が5月に発行されることの証明文書をブラウンに発行してもらうことで採用を認めていただくことができた。

北米に残る選択肢もあり、研究者としてのキャリアとしてはそちらも魅力的だったのだが、妻が4月から東京に戻らなければならないことを鑑み、日本に戻ることにした。幸い、首都圏の大学での専任の話が進んでおり、本日、任用(の予定)を通知する公印入りの書類も正式に届き、ホッとしている。これについてはまた実際に着任した秋以降に書くことにしたい。

*外国にいるとオンライン内見さえさせてもらえない物件がほとんどで、帰国してから探すしかなかった。「前住所」が日本である必要がある物件など、日本国籍を保有して、日本に保証人がいても、外国からの引っ越しでアパートを探すのは意外と大変だった。