2019年8月23日金曜日

渡米2周年記念

昨日が渡米二周年だった。羽田空港で飛行機に搭乗したのが2017年8月21日夕方、ロサンゼルス経由でプロビデンスに降り立ったのが東部時間の8月21日午後11時ごろ、今住んでいるカレッジヒルの自宅に到着したのが日が回って22日の午前1時前後。米で使える携帯番号をまだ持っていなかったので、タクシーに乗ってしまい、uberで15-20ドルの道のりで50ドルを請求された(が、何の疑いもなく支払った)のは今となっては良い思い出である。

二周年を機にこれまでを少し振り返りたい。ここ二年間の間に16科目分のコースワークが終わり、プレリム試験も1/2つ終わり、TAになるための模擬授業にもパスした。

留学して良かったか?研究者になることが現時点でのキャリア的な目標だと考えると、二つの点でとても良かったと考えている。一点目は知識・技術面である。残念ながら?、東大とブラウンでの学びを比べると、量・質ともにブラウンの方が上である。感覚的には東大の三年分がブラウンの一年分くらいである。「勉強ばかりするな」という批判はあるのだろうが、コースワークやプレリム試験準備で論文を多読して自分の専門のサブフィールドの先行研究の蓄積の体系的な理解を得ることや、計量分析や質的分析の手法に関してより正確な知識を得ることは、とても有益だった。もちろん、独学でできることを私の怠慢でやっていなかったという見方もできるが、アメリカにきて強制的に身に付く環境に身をおいたことは正解だったと考えている。

次に研究に関してだが、これもアメリカに来たことが正解だった。私はアメリカと西ヨーロッパにおける国際移民の社会統合に関心があって、修士時代はアメリカとヨーロッパの社会学の先行研究に自分の研究を位置付けようとしていたが、あまりうまくいかなかった。アメリカ及び西ヨーロッパの移民研究はアメリカ、オランダ、ドイツ、スウェーデン、イギリスにある30程度の大学/研究機関が中心となっており、そのネットワークの中にいる人たちから離れたところで欧米の研究者に相手にされるような研究をなすのは、少なくとも院生レベルでは、なかなか難しいことだと思う。もちろん類い稀な才能によってこれができる人もいるのだが、私には無理だった。東大の研究環境が悪かったというわけではなく、私の自分の能力に関する認識とテーマ設定の甘さにあったと思う。今から考えると、日本にいる間は日本への移民受け入れをテーマに設定しておくべきだった(ただ、日本に設定していたら海外留学しようと思っていなかったと思うので、日本の研究をしていなくて良かったのかもしれない)。なお、現時点で素晴らしい研究ができるいるわけではないのだが、少なくともアメリカの移民研究の中心ネットワーク(アメリカでの移民研究はUCLA、UCアーバイン、UCバークレー、ペンステート、コーネル、ブラウン、プリンストン、CUNYになるだろう)の中にいて、最先端の研究をしている人たちにすぐにコメントをもらいにいける状態に自分を置くことはできている。さらにはアメリカの移民研究の中でなされている研究テーマ群、有力研究者、大学/研究機関の相互関係が見えてくるようになって、「移民研究」にどこまで自分の研究を依拠するかについても考えが固まってきた(いつかこれについては別に書きたい)。

精神や身体の健康面でいうと、留学して本当に良かったかはまだわからない。今年に入ってから消化器系の調子を崩してアメリカ&日本で何度か精密検査を受け、先月ようやく原因がわかったことはすでにブログに書いたが、留学して色んな経験をして打たれ強くなった側面もあるのと共に、ダメージが蓄積して打たれやすくなった側面もある気がする。また、親しい友人や恋人との間に大陸と大洋があることで、辛いことや不都合なこともたくさんあった。長い目で見て絶対に良かったと思う点は、弱い人に対する共感力が格段に高まったことだ。演習での発言や研究発表で「アメリカのことを知らない奴」扱いされること(話を最後まで聞かずにそう判断されるととても悔しいし、米アクセントで肌がより白かったら話を聞いてくれたんじゃないか!?と思ってしまうことがある)、TAとして学生を外国語で教えなければならないこと、外国ですこぶる体調が悪くなること、などなど異国で現地の学生と対等に生き残ろうとする中で苦しいことはたくさんある。様々な場面で弱い立場におかれる中で、今まで頭では理解していても、身体では経験していなかった弱さを経験できたのは今後生きていく中でプラスになると思う。

また、こちらで新しい友人たちとの出会いを与えられていることも留学して良かったことだ。ブラウン社会学部は毎年8名前後しか入学させないのだが、僕の入学年だけ15人いたことで、留学生も多く、かなり仲がよくなることができた。また、一昨年の10月にニューハンプシャー州の森の中でのリトリートに参加した時にたまたま知り合った僕より一つ若い中国人の友人(計算機科学専攻)とは馬が合い、以降、毎週食事を一緒にしている。

最後に、信仰について。アメリカ行きが決定してから覚悟はしていたのだが、アメリカのキリスト教会には馴染めずにいる。近くの教会の礼拝には毎週出席しているが、なぜか自分が浮いている(皆と一致できていない)気がする。こう感じるのは自分の所属している教会の中だけではなく、オンライン等でアメリカのキリスト教会を代表するリーダーたちの書いたものを読んで覚える強い違和感も背景にある。もちろん、アメリカにも尊敬するクリスチャンはおり、多種多様なアメリカのキリスト教をこんなにざっくりくくって批判するのは稚拙であろうが、いわゆる「主流派」キリスト教に対しても、「福音派」キリスト教に対しても違和感を覚えてしまう。昨日まで朝の読書の時間を使って内村鑑三の自伝『余はいかにして基督信徒となりし乎』を再読していたのだが、内村が留学先のアメリカの「正統派」キリスト教を批判するところを読んで共感してしまった。おそらく自分の内面とも関係があるように思うので、また自分との対話が進んだら考えを書きたい。

ブラウンの社会学部では三年生最終学期までコースワークをとらなければならないので、Ph.D.取得までにはあとコースワーク一年分、プレリム試験一つ、博論計画書ディフェンス、実際の博論提出が残っている。あと四年くらいだと思うが、与えられている環境を大切にして、与えられた燃料分は丁寧に走りきるようにしたい。


最近は毎朝ゆっくり家のテラスで朝ごはんを食べ、読書をしている。
フレンチトースト&ミニトマト&ブルーベリーが定番メニューとして確立された。


1 件のコメント:

  1. いつもながらとてもおもしろいブログポストだった。いくつか予告されているテーマについても(移民研究、キリスト教などなど)楽しみにしてる。

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