2019年8月29日木曜日

米博士課程におけるプロフェッショナルディベロップメント(プロセミ委員就任)

アメリカの社会学部(おそらく他の専攻でもあるだろう)の博士課程では、プロフェッショナル・ディヴェロップメント・セミナー(以下、プロセミ)やそれに類する名前のコースワークを1年生の秋に履修することが多い(大学によるが、単位になることもある)。

大学によって何をするかは異なると思うのだが、基本的には、博士課程で成功する上で持つべき価値観、博士課程での教員との関係の作り方・規範、Academic ConferenceやPublishingのノウハウ、Job Marketの基礎知識やナビゲートの仕方、学部におけるDiversityを維持する上で持つべき価値観、PoC(=People of Color)研究者としていかに成功するか等々、普段のコースワークでは教えられないが、プロの研究者を目指す上で重要だとされる知識・技能や価値観・規範を教えられる。教育社会学では、学校の授業では公式には教えられないが、在学中に生徒が習得する知識・技能や価値観・規範を「隠れたカリキュラム」と呼ぶ(注1)が、プロセミは大学院博士課程レベルにおける「隠れたカリキュラム」を「公式のカリキュラム」にして、院生間の「隠れたカリキュラム」習得格差を無くそうとする取り組みと考えることができるかもしれない。なお、最近のアメリカの大学院における「隠れたカリキュラム」に関する議論はこの有名な教育社会学者によるブログの投稿も参照されたい。

さて、実はブラウンの社会学部ではプロセミは公式のコースワークとしては存在しない。その代わり、それに代替する措置として、(1)1年生の秋学期の古典社会学理論(必修)の最初の15分で、毎週教員がプロフェッショナルディベロップメント用トピックを話し、質問を受ける措置が取られるとともに、(2)1-2年生は学期中の月曜の昼休みにプロセミランチへの参加が義務付けられている(1年に15回程度)。プロセミランチでは毎回トピックが決められ、1-2年生が教員や先輩の院生から学ぶということになっている。なお、3-6年生でも継続的に参加している人は多い。

さて、このプロセミランチであるが、院生二人からなるプロセミ企画委員によって運営される。私はブラウンに来てから二年間は何の委員にもならずにフリーライドしてしまっていたのだが(皮肉にも、「できる限り大学での役職につくのを避けろ」というのは一年目のプロセミで受けたアドバイスの一つだった!)、三年目にして断りきれずにこの役職が当たってしまった(他の役職は新任教員の公募に関わったり、ハラスメントの対策を考えたりせねばならない重いもので、さらに忙しそうだった)。なった以上は責任を持って職責を全うするつもりだ。とりあえず学部から2000ドルの予算が与えられ、その予算内で自由に企画して良いという連絡がきた。本日、二人で最初の会議をしたのだが、以下の路線で考えている。

・博士課程の1-2年目をどう過ごすか / 講師:3-6年生のパネリスト4名
・2nd Year Paper(=修論)の進め方と投稿・出版 / 講師:3-6年のパネリスト4名
・大学院における結婚・出産・育児 / 講師:育児中の3-6年のパネリスト4名
・学会について/ 講師:院生・教員のパネリスト数名
・アカデミックジョブマーケットの基礎知識とノウハウ / 講師:教員のパネリスト数名
・ノンアカデミックジョブマーケットの基礎知識とノウハウ/ 講師:未定
・新任教員を知る:新任Assistant Prof&Associate Prof 2名
・現役教員を知る:若手Assistant Prof&Associate Prof 2名
・2000ドルは全て各回のランチに使う

他にもアイデアを模索中である。2017年秋学期から二年間このイベントに出ていた経験から思うのは、就職したばかりの若手のAPを一人招いて、院生時代の経験とジョブマーケットの経験について話してもらい、そこからみんなで質問ぜめにするのが一番勉強になった。なので、僕が下手にテーマベースで企画しない方がいいのかもしれないとも思う。また、教員がいないことがプラスに働くことがある(教員との関係に関する質問をしやすい)ことだ。

最後に。このプロセミは企画側になると面倒だが、院生間における情報格差を小さくする方法としてはとても良い取り組みだと考えている。日本の文系大学院は指導教員とその指導学生を基礎とした「ゼミ」ベースでこうした知識や規範が伝達されることが期待されていると思うが、この方式では指導教員による格差が大きくなるという問題があるように思われる。アメリカの文系大学院の全てが良いとは思わないが、どのような形であれ、学部がバックアップする形でプロセミを開催して「隠れたカリキュラム」を「公式のカリキュラム」に変えていくやり方は取り入れたら良いのかもしれない。

注1)なお、この「隠れたカリキュラム」という言葉は、用いられ方にかなり幅がある。私のこの用法がおかしいと思う方がおられたら、すいません。


2019年8月27日火曜日

ロードアイランド州はほぼ「島」ではない

現在、全米で最小面積のロードアイランド州の州都プロビデンスに住んでいる。かなりマイナーな州で、アメリカ憲法や宗教史の研究者でない限り、ロードアイランドを知らなくても当然である。知らなくて当然なものの、「ロードアイランドに住んでいる」と言うと、「島に住んでいる」という誤解をよくされるようになり、少し気になったので、ここでその誤解を正しておきたい。

実は、ロードアイランド州の正式名称はロードアイランド州 (State of Rhode Island) ではなく、ロードアイランド州及びプロビデンス植民地* (State of Rhode Island and Providence Plantations)である。これは、もともとの英国から独立前には、ロード島(現在はアクィドネック島と呼ばれている)とプロビデンスにあった植民地が Colony of Rhode Island and Providence Plantationsとして英国王に認可される形で始まったことに背景がある。下の地図は現在のロードアイランド州である。州の大部分は大陸に属しており、なおかつ、州都のプロビデンスはロード島にはない。ただ、「ロードアイランド州及びプロビデンス植民地」と呼ぶのはあまりにも長いので、略して「ロードアイランド州」と呼ばれているということなのである。

ロードアイランドの地図
出典:フリー地図を筆者が加工


日本に無理やり例えると兵庫県が「淡路島と神戸植民地」として始まり、後に名前が長くてめんどくさいので「淡路島県」になったようなものだ。そして、そういう世界で、神戸に住んでいる人が「島には住んでない!」と言ってブログを書いているのを想像していただきたい。もちろん、例えが無理やりすぎるかもしれないが、実際にプロビデンスからロード島へは橋で繋がっており簡単に行ける(ブラウンの学生証あれば無料でバスで1時間で行ける)し、淡路島と神戸の関係に似ている気がする。

最後に、もう一つよくある間違えを正しておきたい。私の住んでいるのはプロビンス(Province)ではなく、プロビデンス(Providence)である。前者は英語ではカナダの州などに使われる行政区分を意味する単語であり、後者は神の導きや摂理という意味があって、全然違う。プロビデンスと名付けられた理由は、プロビデンス植民地の創設者のロジャー・ウィリアムズ牧師の興味深い歴史に関係しており、最終的には米国の政教分離や信教の自由とも関わっくるのだが、ロジャー・ウィリアムズについてはもう少し本格的に勉強してからまた書きたい。


*Plantationsは大農場を指す「プランテーション」と訳す場合もあるが、この文脈では「植民地」が適切であろうと思う。

2019年8月23日金曜日

渡米2周年記念

昨日が渡米二周年だった。羽田空港で飛行機に搭乗したのが2017年8月21日夕方、ロサンゼルス経由でプロビデンスに降り立ったのが東部時間の8月21日午後11時ごろ、今住んでいるカレッジヒルの自宅に到着したのが日が回って22日の午前1時前後。米で使える携帯番号をまだ持っていなかったので、タクシーに乗ってしまい、uberで15-20ドルの道のりで50ドルを請求された(が、何の疑いもなく支払った)のは今となっては良い思い出である。

二周年を機にこれまでを少し振り返りたい。ここ二年間の間に16科目分のコースワークが終わり、プレリム試験も1/2つ終わり、TAになるための模擬授業にもパスした。

留学して良かったか?研究者になることが現時点でのキャリア的な目標だと考えると、二つの点でとても良かったと考えている。一点目は知識・技術面である。残念ながら?、東大とブラウンでの学びを比べると、量・質ともにブラウンの方が上である。感覚的には東大の三年分がブラウンの一年分くらいである。「勉強ばかりするな」という批判はあるのだろうが、コースワークやプレリム試験準備で論文を多読して自分の専門のサブフィールドの先行研究の蓄積の体系的な理解を得ることや、計量分析や質的分析の手法に関してより正確な知識を得ることは、とても有益だった。もちろん、独学でできることを私の怠慢でやっていなかったという見方もできるが、アメリカにきて強制的に身に付く環境に身をおいたことは正解だったと考えている。

次に研究に関してだが、これもアメリカに来たことが正解だった。私はアメリカと西ヨーロッパにおける国際移民の社会統合に関心があって、修士時代はアメリカとヨーロッパの社会学の先行研究に自分の研究を位置付けようとしていたが、あまりうまくいかなかった。アメリカ及び西ヨーロッパの移民研究はアメリカ、オランダ、ドイツ、スウェーデン、イギリスにある30程度の大学/研究機関が中心となっており、そのネットワークの中にいる人たちから離れたところで欧米の研究者に相手にされるような研究をなすのは、少なくとも院生レベルでは、なかなか難しいことだと思う。もちろん類い稀な才能によってこれができる人もいるのだが、私には無理だった。東大の研究環境が悪かったというわけではなく、私の自分の能力に関する認識とテーマ設定の甘さにあったと思う。今から考えると、日本にいる間は日本への移民受け入れをテーマに設定しておくべきだった(ただ、日本に設定していたら海外留学しようと思っていなかったと思うので、日本の研究をしていなくて良かったのかもしれない)。なお、現時点で素晴らしい研究ができるいるわけではないのだが、少なくともアメリカの移民研究の中心ネットワーク(アメリカでの移民研究はUCLA、UCアーバイン、UCバークレー、ペンステート、コーネル、ブラウン、プリンストン、CUNYになるだろう)の中にいて、最先端の研究をしている人たちにすぐにコメントをもらいにいける状態に自分を置くことはできている。さらにはアメリカの移民研究の中でなされている研究テーマ群、有力研究者、大学/研究機関の相互関係が見えてくるようになって、「移民研究」にどこまで自分の研究を依拠するかについても考えが固まってきた(いつかこれについては別に書きたい)。

精神や身体の健康面でいうと、留学して本当に良かったかはまだわからない。今年に入ってから消化器系の調子を崩してアメリカ&日本で何度か精密検査を受け、先月ようやく原因がわかったことはすでにブログに書いたが、留学して色んな経験をして打たれ強くなった側面もあるのと共に、ダメージが蓄積して打たれやすくなった側面もある気がする。また、親しい友人や恋人との間に大陸と大洋があることで、辛いことや不都合なこともたくさんあった。長い目で見て絶対に良かったと思う点は、弱い人に対する共感力が格段に高まったことだ。演習での発言や研究発表で「アメリカのことを知らない奴」扱いされること(話を最後まで聞かずにそう判断されるととても悔しいし、米アクセントで肌がより白かったら話を聞いてくれたんじゃないか!?と思ってしまうことがある)、TAとして学生を外国語で教えなければならないこと、外国ですこぶる体調が悪くなること、などなど異国で現地の学生と対等に生き残ろうとする中で苦しいことはたくさんある。様々な場面で弱い立場におかれる中で、今まで頭では理解していても、身体では経験していなかった弱さを経験できたのは今後生きていく中でプラスになると思う。

また、こちらで新しい友人たちとの出会いを与えられていることも留学して良かったことだ。ブラウン社会学部は毎年8名前後しか入学させないのだが、僕の入学年だけ15人いたことで、留学生も多く、かなり仲がよくなることができた。また、一昨年の10月にニューハンプシャー州の森の中でのリトリートに参加した時にたまたま知り合った僕より一つ若い中国人の友人(計算機科学専攻)とは馬が合い、以降、毎週食事を一緒にしている。

最後に、信仰について。アメリカ行きが決定してから覚悟はしていたのだが、アメリカのキリスト教会には馴染めずにいる。近くの教会の礼拝には毎週出席しているが、なぜか自分が浮いている(皆と一致できていない)気がする。こう感じるのは自分の所属している教会の中だけではなく、オンライン等でアメリカのキリスト教会を代表するリーダーたちの書いたものを読んで覚える強い違和感も背景にある。もちろん、アメリカにも尊敬するクリスチャンはおり、多種多様なアメリカのキリスト教をこんなにざっくりくくって批判するのは稚拙であろうが、いわゆる「主流派」キリスト教に対しても、「福音派」キリスト教に対しても違和感を覚えてしまう。昨日まで朝の読書の時間を使って内村鑑三の自伝『余はいかにして基督信徒となりし乎』を再読していたのだが、内村が留学先のアメリカの「正統派」キリスト教を批判するところを読んで共感してしまった。おそらく自分の内面とも関係があるように思うので、また自分との対話が進んだら考えを書きたい。

ブラウンの社会学部では三年生最終学期までコースワークをとらなければならないので、Ph.D.取得までにはあとコースワーク一年分、プレリム試験一つ、博論計画書ディフェンス、実際の博論提出が残っている。あと四年くらいだと思うが、与えられている環境を大切にして、与えられた燃料分は丁寧に走りきるようにしたい。


最近は毎朝ゆっくり家のテラスで朝ごはんを食べ、読書をしている。
フレンチトースト&ミニトマト&ブルーベリーが定番メニューとして確立された。