2018年8月21日火曜日

今後の博士課程における予定–渡米1年!–

本日で渡米してちょうど1年になる。去年の今頃は飛行機の中だ。

一年が経ったということで、これまでと今後のPhD課程での主な予定をまとめてみた。今後がイメージしやすいように年齢と給与形態もまとめた。30歳過ぎる2022年もまだ学生ということに驚く方はいるかもしれない。理論上は5年で出れることになっているのだが、6年目まで大学から給料をもらえる人が多く、より良い給料がもらえるポジションが決まったりしない限りほとんどの人が6年目も在籍する(ただし大学にはいないことが多い)。給与形態というのはFellow(TAやRA免除で授業料・生活費がいただける一番良い状態)、RA(先生のRAをすることによって授業料・生活費がいただける状態)、TA(授業をTAとして教えることによって授業料・生活費がいただける状態)の三種類であり、入学時にある程度個人ごとの契約で決められている。僕の場合、日本の財団から2年目までの奨学金確保に成功したため、1-2年目(日本の財団から)、5-6年目(大学から)のフェローシップが確定している。フェローシップの期間が長いのは僕に限ったことではなく、ブラウン社会学部では1年生は全員TAやRA免除でフェローになることができ、2年目も何らかの形でフェローとして生活する人が同期15人中の10人前後で大半ある。なお、TAに忙殺される他の大学の友人の話を聞いているとブラウン社会学部の院生はかなり経済的に恵まれているようである。

<博士課程のこれまでと今後の主な予定>

2016-2017年:博士0年生(25歳)
2016年12月:出願
2016年3月:合格

2017-2018年:博士1年生(25-26歳)
給料形態:Fellow
2017年9月:入学
2017年12月(26歳/1年生):コースワーク計4科目取得
2018年5月(26歳/1年生):コースワーク計8科目取得

<----------現在ここ!---------->

2018-2019年:博士2年生(26-27歳)
給料形態:Fellow
2018年12月:コースワーク計12科目単位取得
2019年2月:2nd Year Paper ドラフト(修論)提出
2019年4月:2nd Year Paper 完成版(修論)提出
2019年4月:コースワーク計16科目取得
2019年5月:修士号取得
2019年6月:プレリム試験(社会人口学!?)

2019-2020年:博士3年生(27-28歳)
給料形態:TA
2019年12月:コースワーク・TA計20科目取得
2020年1月:プレリム試験(社会階層論!?)
2020年4月:コースワーク・TA計24科目取得(全単位取得修了)・TA義務完了

2020-2021年:博士4年生(28-29歳)
給料形態:TAまたはRAまたはFellow
2021年12月:博士候補資格口頭試問

2021-2022年:博士5年生(29-30歳)
給料形態: Fellow
2022年8月:博論完成→審査?

2022-2023年:博士6年生(30-31歳)
給料形態:Fellow
2023年1月:AP・ポスドク・民間就職先確保
2023年5月:博士課程修了(博士号取得)

上記はあくまで「予定」であり、この通りにいく保証はないし、そもそも途中でクビを切られる可能性だってある。つい先日もプレリム試験に落ちた先輩が強制退学になったという話を聞いた。ただ、こういう他人の失敗話はあまり気にせずに何事にもベストを尽くすしかない。自分にとって今年の山場は2月と4月に締め切りがある2nd Year Paper(修論)と一つ目のプレリム試験である。修論はもう動きはじめており、来月くらいからはプレリム試験の勉強にも本腰を入れていこうと思う。

2018年8月19日日曜日

米のアカデミアの履歴書(Curriculum Vitae)

普段からとてもお世話になっている社会学部の技術職員の方から近々学部HPを刷新して全PhD学生のCVを載せるので送ってほしいというメールが来た。自分の名前が検索された時に常にブラウンのページが上位にきて、そこに見栄え良く自分の情報が載っていることが大事らしい。先学期はオンライン上での研究者としての自己PRを院生と考えるセミナーが教員主催で開かれ、おそらくその延長線上にこうした取り組みある。

CVはCurriculum Vitaeの略で、自分の氏名、連絡情報、履歴、業績、その他アピールポイントをまとめた書類。Resumeと互換的に用いることもあるが、Resumeは1-2ページの短い簡潔なものを指すのに対し、CVは細かい情報も載せるのが慣例で、年配の大御所教員になると10ページくらいある人もいる。

大学院出願の際に提出する必要があるので2年前に一度作成してはいたのだが、渡米して自分の作っていたCVが綺麗に見えないことに気づき、改めてCVを作成し直した。

米国のCVのイメージがわかない方もいるので参考にここに僕が本日作成したものを載せておく。色々な作り方があるので、他の方のも参考にされたい。なお、大学院出願のために作る際にはEducationのところに卒論や修論のタイトルや指導教員の名前を入れるなどして工夫してもいいかもしれない。正直なところ、僕のような第一著者の査読論文がまだゼロの人がCVをネットに晒しても何の意味もない気がしているのだが、学部の方針で下級生含めて全員HPにアップロードするようなので仕方ない。ちなみにこのCVを作るためにブラウンの社会学部のD4-6の人のCVを一つ一つ確認していたのだが、第一著者の論文業績がゼロorかなりマイナーなジャーナルに1本の先輩が結構多く、自分の未来が少し不安になってしまった(注1)。また、お隣のMA州にある某H大やNJ州にある某P大のように院生中に社会学三大誌(ASR、AJS、Social Forces)に第一著者で載せているような化け物がいないことも改めて確認された。ただし、Social ProblemsやSocial Science Researchのようなジェネラルの上位誌やSocial Science &Medicineのようなサブフィールドのトップ誌に論文を載せている先輩は存在したのでその人たちを目標に頑張ろうと思う。(なおサブフィールドトップに二本載せて今年博論を提出された優秀な先輩はアカデミアに興味がなくなったようで、専門を生かせる民間企業に就職してしまった。)


注1・・・米国の経済学のAPのジョブマーケットでは論文業績0本のままD5かD6でジョブマーケットに出るというのはかなり普通のことだと聞いたが、社会学だと少なくとも1本ランクの高いジャーナル(印象としては最低でもサブフィールドで上位5位くらいまで)に掲載決定していないとAPとしての就職は厳しそうである。米の社会学ポスドクのジョブマーケットがどれくらいの業績を求めるのかは未知で、人気ないポスドクポジションなら0でもいけるのかもしれないので0の人も何とかなるのかもしれない。なお、僕の場合、業績の数がかなり重要になってくる日本のジョブマーケットでのAP/ポスドク就職も考えているので、D6までに少なくともどこかに2本くらいないと研究者としての帰国はできなさそうだ。

2018年8月18日土曜日

プロビンスタウン(コッド岬)

先週末は夏のRA業務や研究から休みをとってボストン経由でマサチューセッツ州プロビンスタウン(僕が住んでいるのはプロビデンス)を旅行してきた。プロビンスタウンはケープコッド(コッド岬とも呼ばれる)の先端にある街であり、高校の地理で習う典型的な砂嘴(さし)である。



ちなみにプロビンスタウンは現在のアメリカ合衆国の建国の祖とされるピルグリムファーザーズ(アメリカの建国の元となったプリマス植民地を形成したピューリタンたち)がメイフラワー号で最初に上陸した地であり、有名なメイフラワー号誓約が署名された場所である。アメリカ建国史では対岸のプリマスと共に極めて象徴的な街だ。

ボストンからはBoston Harbor Cruises(BHC)とBay State Cruise Companyの2社がそれぞれ別の場所から高速フェリーを出している。今回はBHCを利用したのだが、所要時間は片道約90分で、料金は往復で$93であった(片道は$61)。地図からも想像がつくと思うが、ボストンやプロビデンスから陸路でプロビンスタウンに向かうとなると車や電車で陸路を大回りせねばならず、小型飛行機もあるが、値段を考えるとフェリーが現実的な選択肢である。ボストンでのプロビンスタウン行きのフェリー搭乗がちょうど雨が降ったあとで、虹を見ながらの旅だった。

ボストンからプロビンスタウンへ向かうフェリーから見えた虹

プロビンスタウンにはピルグリムファーザーズの上陸を記念するピルグリム記念碑(Pilgrim Monument)がある。1907年の礎石設置はセオドア・ルーズヴェルト大統領が、1910年の献堂はウィリアム・タフト大統領が執り行ったようだ(Pilgrim Monument公式HP)。頂上まで登ってプロビンスタウンを見渡すことができる。塔の下にはメイフラワー号誓約を記念する博物館もあり、観光にはおすすめ。下の写真は記念碑の塔とその頂上から見渡した景色。砂嘴の形がわかるだろうか?

ピルグリム記念碑

記念碑の頂上からの眺め

ちなみにプロビンスタウンは一時ポルトガル人の漁師たちが大量に移民した時代があるらしく、ポルトガル系のレストランが多かった。写真を撮ったり名前をメモするのは忘れてしまったが、ポルトガルのカスタード入り揚パンがとても美味しかった。今後も気分転換にもっとアメリカを旅したい。


2018年8月16日木曜日

アップルサイダードーナツ(ニューイングランド地方起源?)

去年の10月にニューハンプシャー州の森林の中にある宿泊施設にクリスチャン大学院生向けのリトリートで1泊2日で滞在した際のティータイムに「アップルサイダードーナツ」というドーナツが出され、とても美味しくて強い印象に残っていた。その時に聞いた話と、オンライン上の情報(Wikipediaのこのエントリーで引用されているこの記事この記事)を総合して考えると20世紀のどこかの時点で僕の住む米国北東海岸(ニューイングランド地方)で普及したドーナツのようである。

普段よくいくブラウン大学内のカフェやスタバでは売られていないので、それ以来食べれておらず気になっていたのだが、先日Sur La Tableというアメリカで料理教室も手掛けている会社のキッチン用品店に立ち寄った際に、このアップルサイダードーナツを作るセットをたまたま目にし、安かったので思わず購入して作ってしまった。

Sur La Tableのアップルサイダードーナツミックス
作り方はとても簡単で、ドーナツミックス、卵、牛乳、溶かしバターをレシピに合わせて混ぜ、オーブンで15分程度熱して、最後にシナモンシュガーをまぶすだけ。

ドーナツの生地を焼く前
たくさん焼けた
結構たくさん焼けたのだが、レシピ通りにバターを入れなかったこともあり(レシピ通りだとバター量が多すぎてカロリーを気にしてしまった)、少しサクッと感が足りなかったが、美味しかった。今度またトライして見たい。

完成したアップルサイダードーナツ