上図:管理事務所で配布されている地図(地図右下が正門) |
多磨霊園は26の区画に分かれており、内村鑑三の墓は正門から歩いて2分ほどの8区の1種16側28番にある。番号付けがシステマティックでわかりやすく、墓を見つけるのはそんなに大変ではなかった。左の写真は有名な"I for Japan, Japan for the World, The World for Christ, And All for God."と刻まれている内村の墓碑。この墓碑に向かって右隣には内村の息子で日本プロ野球コミッショナー(若い頃は東京帝国大学野球部エース)や東大医学部教授を歴任した内村祐之の墓、左隣にはその他の内村家の方々の墓碑と19歳にして亡くなった内村の愛娘ルツ子を記念する墓碑もたっていた。かなり特殊な趣味のように思われるかもしれないが、一度は来てみたいと思っていたので感動した。
その他の有名人の墓もたくさんあるので時間の許す限り見たかったが、日も暮れかかっており、蚊の攻撃にもさらされていたので新渡戸稲造、矢内原忠雄、吉野作造の墓だけを回った。このブログに検索でたどり着いた方ならご存知であろうが、新戸部稲造は内村の札幌農学校時代からの親友で、一高校長、東京帝国大学教授、国際連盟事務次長を歴任し、旧5千円札にもなった人物、矢内原忠雄は内村鑑三の弟子で戦後に東大総長をつとめた経済学者、吉野作造は東京帝国大学教授をつとめた大正デモクラシーを代表する政治学者である(吉野の内村との関係がどのようなものだったは知らないが、同じ時代を生きた日本人キリスト者ではあるものの、二人の関係について一切聞いたことがないので、そんなに仲良くなかったか、接点があまりなかったのかもしれない。誰か知っていたら教えてください)。
矢内原家の墓(よく見ると「清き岸べに」と書いてある) |
以上、キリスト教徒の墓ばかり取り上げたが、もちろん多磨霊園の大多数は仏教の墓であり(+天理教などもあった)、20世紀前半に日本で活躍した政治家・文化人(東郷平八郎、高橋是清、堀辰雄)がたくさん眠っている。故人が眠るそれぞれのお墓には個性があり、全く知らない人のお墓を眺めながら歩いているだけでも大変面白く飽きなかった(とても変わったお墓もたくさんあって面白かったのだが、私人の墓の写真を撮るのは憚られたので写真はとらなかった。管理事務所によると内村や矢内原等の著名人は遺族が場所等の公表を許可しているとのことであったので写真も撮影した)。少しマニアックな観光場所かもしれないが、是非一度は訪問して散歩されることをおすすめしたい。
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