2017年7月9日日曜日

多磨霊園訪問(内村鑑三、矢内原忠雄 etc.)の感想

昨日、多磨霊園に行ってきた。多磨霊園は府中市にある霊園(一部敷地が小金井市にも広がっている模様)で、大正-昭和初期にかけて活躍した有名人の墓が多くあることで知られている。主目的は長期渡米してしまう前に内村鑑三の墓をみること。無教会主義の考え方に高校から学部2年生頃まで強い影響を受けていた。もちろん、今でも影響を受けていると言えるし、内村のことは尊敬しているが、昔と比べると自分のキリスト教理解がより教会制度を重視する方向性に変化した気がしている。

上図:管理事務所で配布されている地図(地図右下が正門)
多磨霊園へは入口がいくつもある。今回は多磨駅から徒歩で5分程度のところにある正門(表門)から入場した(霊園の南東)。正門から入って右手に管理事務所があり、そこで多磨霊園の地図と有名人の墓の場所リストを入手することが可能となっている。霊園は128ヘクタールと広大なので、むやみに歩き廻ってもお目当ての墓にたどり着くことは困難である(なお、裏門へは武蔵境駅が最寄りのようであるが、正門と同じように裏門に地図が入手できる事務所があるかについては不明。内村鑑三の墓を訪問したい場合、墓への近さ的にも正門を経由することを強くおすすめする)。

多磨霊園は26の区画に分かれており、内村鑑三の墓は正門から歩いて2分ほどの8区の1種16側28番にある。番号付けがシステマティックでわかりやすく、墓を見つけるのはそんなに大変ではなかった。左の写真は有名な"I for Japan, Japan for the World, The World for Christ, And All for God."と刻まれている内村の墓碑。この墓碑に向かって右隣には内村の息子で日本プロ野球コミッショナー(若い頃は東京帝国大学野球部エース)や東大医学部教授を歴任した内村祐之の墓、左隣にはその他の内村家の方々の墓碑と19歳にして亡くなった内村の愛娘ルツ子を記念する墓碑もたっていた。かなり特殊な趣味のように思われるかもしれないが、一度は来てみたいと思っていたので感動した。

その他の有名人の墓もたくさんあるので時間の許す限り見たかったが、日も暮れかかっており、蚊の攻撃にもさらされていたので新渡戸稲造、矢内原忠雄、吉野作造の墓だけを回った。このブログに検索でたどり着いた方ならご存知であろうが、新戸部稲造は内村の札幌農学校時代からの親友で、一高校長、東京帝国大学教授、国際連盟事務次長を歴任し、旧5千円札にもなった人物、矢内原忠雄は内村鑑三の弟子で戦後に東大総長をつとめた経済学者、吉野作造は東京帝国大学教授をつとめた大正デモクラシーを代表する政治学者である(吉野の内村との関係がどのようなものだったは知らないが、同じ時代を生きた日本人キリスト者ではあるものの、二人の関係について一切聞いたことがないので、そんなに仲良くなかったか、接点があまりなかったのかもしれない。誰か知っていたら教えてください)。

矢内原家の墓(よく見ると「清き岸べに」と書いてある)
三人とも墓碑は簡素なもので印象に残るものではなかったが、矢内原の墓碑に「清き岸べに」という文言があったのだけは印象的だった。聖書では「清い」も「岸辺」もよく使われる表現で、「岸べ」が象徴的な意味をもつことはあるが、「清い岸辺」という表現は私の記憶の限り聖書中にはなく、新規かつ少々仏教的に感じられ、矢内原がつけた言葉としては違和感をもったためである。調べたところ矢内原の追悼のために発行された冊子が「清き岸辺に」というタイトルのようで、讃美歌489番にも葬儀讃美歌として「清き岸辺に」が存在したため、キリスト教会でもしばしば用いられる表現だということがわかった(私は知らなかった)。なお、この件についてオンラインで調べている中で中道基夫さんが2005年に『神学研究』上に発表した「日本における葬儀讃美歌のインカルチュレーション」という論文を発見し、そこでは英語原題で"We shall reach the summer land"という表現だった葬儀讃美歌が、日本語へ訳される過程で日本文化(仏教)の影響を受け「清き岸辺に」となった、と考察されていて興味深かった。と、同時に、こうした些細な「インカルチュレーション」の表現にもすぐに違和感を感じた自分が小さいころから受けてきた聖書教育もなかなか厳しいものだった気がした(その教育の善し悪しはここでは論じない)。

以上、キリスト教徒の墓ばかり取り上げたが、もちろん多磨霊園の大多数は仏教の墓であり(+天理教などもあった)、20世紀前半に日本で活躍した政治家・文化人(東郷平八郎、高橋是清、堀辰雄)がたくさん眠っている。故人が眠るそれぞれのお墓には個性があり、全く知らない人のお墓を眺めながら歩いているだけでも大変面白く飽きなかった(とても変わったお墓もたくさんあって面白かったのだが、私人の墓の写真を撮るのは憚られたので写真はとらなかった。管理事務所によると内村や矢内原等の著名人は遺族が場所等の公表を許可しているとのことであったので写真も撮影した)。少しマニアックな観光場所かもしれないが、是非一度は訪問して散歩されることをおすすめしたい。

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