2023年4月29日土曜日

帰国報告: 怒涛の2ヶ月

3月末に日本に帰国し、5年半にわたるアメリカ生活に終止符をうった。2月3日に博論を提出してからのアメリカでの最後の1ヶ月は、博士課程修了にあたる事務手続き、帰国にあたる各種手続きや調整、アメリカの賃貸アパートの解約、荷物の郵送手続きがあり、帰国後の数週間も、首都圏でairbnbとホテルを転々としながら、東京と神奈川でのアパートの内見を続けていた。

紆余曲折あったのだが(*)、なんとか手頃な価格の賃貸物件を見つけることに成功し、入居し、住民票を移し、家具も全て揃え、今日、2ヶ月ぶりに一息をついてブログを書いているところである。

4月からは日本学術振興会特別研究員PD(いわゆる「ポスドク」)として研究を再開している。学振PDは採用予定の4月1日までに博士号が授与されていることが条件だが、「海外の大学」で博士号を取得した人に関する特別規定があり、学位が5月に発行されることの証明文書をブラウンに発行してもらうことで採用を認めていただくことができた。

北米に残る選択肢もあり、研究者としてのキャリアとしてはそちらも魅力的だったのだが、妻が4月から東京に戻らなければならないことを鑑み、日本に戻ることにした。幸い、首都圏の大学での専任の話が進んでおり、本日、任用(の予定)を通知する公印入りの書類も正式に届き、ホッとしている。これについてはまた実際に着任した秋以降に書くことにしたい。

*外国にいるとオンライン内見さえさせてもらえない物件がほとんどで、帰国してから探すしかなかった。「前住所」が日本である必要がある物件など、日本国籍を保有して、日本に保証人がいても、外国からの引っ越しでアパートを探すのは意外と大変だった。

2023年2月24日金曜日

博士論文の口頭試問合格

博士論文の口頭試問(オーラルディフェンス)に合格し、博士号取得のための要件を全て満たしたのでここに報告しておく。

前回の投稿では1月31日(火)に口頭試問(オーラルディフェンス)の予定と書いたが、諸事情で1日早くなり、プロビデンスに1月29日(日)に飛んで、1月30日(月)の午前に 博士論文の口頭試問があった。

私の博論を審査する博論委員会(dissertation comittee)は主査(=指導教員)+副査3人の4人体制。ブラウン社会学部はいわゆる"closed defense"と呼ばれる方式を採用しており、口頭試問に博論委員以外が同席することは不可なので、私を含めた合計5人で、社会学部地下の小さなセミナールームで試問が実施された。審査は規定上は180分ということになっており、稀に180分かかる人もいるみたいなのだが、私の場合、審査開始の挨拶(5分)、委員同士の事前審議(私は退席)(10分)、私の口頭発表(15分)、質疑応答(1時間)、委員同士の事後審議(私は退席)(5分)の90分強で終了した。ちなみに、私の発表が15分と短いのは、12月には博論原稿の全てを博論委員の先生方に送ってあり、全て読んでいるという前提があるためである。

結果は「修正要求なしの合格」(pass without revisions)で、嬉しかった。質疑応答は厳しい質問を予想して準備していったのだが、質問攻めというよりは、今後、博論を投稿論文としていくためのsuggestionという形のものが多かった。

口頭試問に合格後、3日間、かなり入念にミスがないかチェックをして、博論を提出し、2月15付で正式に博士号取得のための全要件を「修了」したという通知をもらった。正式な学位発行は5月28日の学位授与式である。

この後についてはまた機会のある時に書きたいと思うが、3月に日本に戻ることになった。よって、今は必死に引っ越しの準備をしている。6年前、渡米した際にUSPSが荷物を全て紛失した教訓を生かして、今回はお金をかけてヤマトに頼むことにした。現在、部屋にはヤマトの箱が散乱している。

2022年12月27日火曜日

近況報告:口頭ディフェンス日程決定、ウィリアムズバーグ訪問

前回の更新からまたまたとても長い時間が経ってしまった。博士論文はほぼ完成し、現在は体裁等を整えると共に、1月31日午前の口頭審査(いわゆるオーラルディフェンス)の準備をしている。審査員は主査の指導教員含めて4人で、形式上3時間ある。こればかりは対面なので、DCからプロビデンスまで飛ぶ予定である。吹雪での飛行機の遅延等の可能性を考えると、1月29日にはプロビデンス入りを考えた方が良いのかもしれない。

昨日までのクリスマス休暇は息抜きにコロニアルウィリアムズバーグ(バージニア州ウィリアムズバーグ)で過ごした。地区全体が植民地時代を再現する生きた博物館になっていてとても刺激的な良い経験だった。昔から行きたかった場所だったので今回行けて本当によかった。

ちなみに、ウィリアムズバーグはワシントンDCからは南に180kmほどで、高速バスで向かったのだが、DCの駅で運転手が見つからずに高速バスの出発が5時間遅れた上に、途中のバス停(リッチモンド)でその運転手もいなくなってしまい、交代運転手も現れず、乗客全員がバスごと夜のリッチモンドに取り残されるというハプニングも良い思い出になった。バス停にいたバス会社の係員は「会社の本部に連絡が取れないし、自分に返金する権限もない。俺のせいではない」(意訳)という態度で何もしてくれなかった。こういうことに特に動揺しなくなったのも、5年間でアメリカの経験値が高まった証だと思う。仕方なくUberに課金をすることで問題を解決をし、現在はバスのチケットの返金を請求中である。

なお、毎年、面白かった社会学論文のまとめ(例:2021年)を書いてきたが、今年はそれより自分の博論をできるだけ仕上げること(校正)に時間を使った方が良さそうなので、スキップすることにする。


2022年9月9日金曜日

"Gilead" by Marilynne Robinson (マリリン・ロビンソン著『ギレアド』)

博論用の9GBのデータのダウンロードを待っている間に、Marilynne Robinson著の"Gilead"という小説の紹介を書いておく。2004年にピューリッツアー賞(フィクション部門)と全米批評家協会賞を受賞しており、ミチコ・カクタニ氏のNYTでの分析によれば大統領就任前のオバマ大統領の人間観に影響を与えた本の一つらしい。日本語でも翻訳が出ているとのこと。

いわゆる"Epistolary novel"(書簡体小説)で、老牧師John Ames(70代)が心臓の病気で余命宣告を受け、後妻との間にできた幼い子ども(が大人になった時に読むために)に書き残す何十通もの手紙という形式をとっている。時代設定は1950年代の米国中西部アイオワ州にある架空の町Gilead。

手紙をまとめた設定のため明確な章区分はなく、順序だって書かれていないので、ストーリーの展開を説明するのはかなり難しい。テーマとしては、家族の信仰継承と挫折、親友との友情(と親友の息子がもたらした悲しみ)が軸だが、それに加えて、寂れゆく中西部の田舎町Gileadでの日常がAmesの視点から断続的に描かれていく。老牧師John Amesは代々続く牧師の家系であるという設定がとても重要であり、牧師だった祖父(19世紀初頭生まれ)と父(19世半ば生まれ)の話を息子に書き残すことで、アンテベラム(南北戦争に至る時代)から冷戦に至るまでのアメリカの近現代史が背景としてうまく織り込まれている。手紙にはAmesを取り巻く様々な人物の話も登場するのだが、父から息子への手紙という一方向の書き方ながら、それぞれの人物の設定がとてもリアルに、細緻に、描写されている。

読後に調べたところ、アメリカにおけるカルヴィニズムへの肯定的な再解釈を試みている宗教的小説という評価があるようで、実際に文学系の学術論文でも既にそういう議論がなされているようであった。確かに老牧師John Amesは会衆派の牧師、親友のBoughtonも長老派の設定であり、本の中でも度々"Institutions"(『キリスト教綱要』)が言及されている。私がこの本を読むきっかけになったのもブラウン大のプロテスタントの大学院生のグループの読書会で取り上げられたからで、夏に週1でZoomであってみんなで感想を話し合うのは楽しかった。ただ、ピューリッツアー賞受賞していることからもわかる通り、宗教的背景が一切なくても、凝った小説として楽しめるように思う。

ちなみに私はAmazon Audibleを使って全て散歩中に耳でこの本を「読んだ」。特にこの本は手紙調なので適していると思う。英語に抵抗がない方にはおすすめの楽しみ方である。耳にも心にも頭にも響いた小説であった。シリーズとして続編も出ており、先週から"Home"をAudibleで散歩中に「読んで」いるところである。

2022年8月13日土曜日

博士留学中にI-20を延長した際のトラップ

毎度のように、かなり久しぶりの更新になってしまった。ワシントンDCに引っ越してきて3ヶ月近く経ち、ようやく生活が落ち着いてきた。最近は「主夫」兼院生という感じで、家事をしつつ、専ら博論をやっている。あと、毎日東海岸時間午前11時にJ-RECINも眺めている。

今日は大学からの給料が突然振り込まれなくなるトラブルについて、同じようなトラブルに遭う人がいないように記しておく。なお、幸いなことに、このトラブルは解決済みである。

昨年末に、今年5月末に失効する予定だったI-20の延長手続き(来年5月までに延長)を行なったのだが、更新されたI-20を大学の人事課(Human Resources)に再登録する手続きを失念していた。私が失念していたこの手続きは、非米国籍の大学院生が米国の大学から給与(fellowshipも含む)の支払いを受けるために必須の手続きであった。

大学からの給料は毎月の月末に振り込まれるのだが、6月末になっても振り込まれず、大学に確認したところ、「就労許可手続きができていない」(大意)という返事が返ってきて、かなり焦ることになった。しかもこの手続きはオンラインでは難しい(=オンラインでは、法的な問題がある)ということで、一度はDCからプロビデンスまで飛ぶことを考えたのだが、一部の州では公証人立会のもとで同手続きができるかもしれないことを知り、最終的にお隣のバージニア州で公証手続きを済ませ、無事に3週間遅れで6月の給与の支払いを受けることができた(注意:この公証人手続きの有効性に関する法律的解釈は雇用主や手続きする州によって分かれるらしいので、同じことをする人は慎重にやってほしい。DCではできなかった)。

完全に自分が悪いのだが、強いて言い訳をすると、通常であれば更新されたI-20を留学生課で物理的に手渡されて、職員から「ちゃんと人事課に出向いてね」と言われるプロセスがコロナで電子化され、メールになったことが原因である。メールは見逃していた。アメリカ博士課程にいる人なら一日に大学から届くメールの量とそれを見逃すミスに共感してもらえる気がする。

博士課程留学でI-20を更新されたみなさんは是非、人事課にI-20の登録手続きを忘れないようにすることをおすすめする。

2022年5月4日水曜日

生存報告0504

2022年に入って初めての投稿になってしまった。もう5月ということでとても焦っていてブログを更新しているわけではないのだが、一応、生存報告をしておく。

1月はハワイで1週間ほどのんびりしていたのだが、その後から現在に至るまで怒涛の忙しさだった。全て思い出しきれないのだが、主要イベントしては終始博論執筆のプレッシャーに加え、共著論文投稿(2月)、イェールでの招待レクチャー(2月)、DCでのアパート探しと契約(3月)、アメリカ人口学会(@アトランタ)(4月上旬)、RC28学会(@ロンドン)(4月下旬)、公募へ出願(定期)などがあった。

特にワシントンDCでのアパート探しと契約は本当に色々と大変で、2-3週間ほど、ほぼそれに時間を使ってしまった。いつかまとめて書くかもしれないが、外国人ということで差別されているのではないかという経験もした。もちろん、僕の主観であり、証明しようがないのだが、基本的に現代民主主義社会で移民が経験する差別経験というものは客観的証拠を示しにくい類のものの積み重ねではないかと思う。現在、妻は既にDCに住んでいて、私も今月末にDCに移る予定である。

今年に入って、少し嬉しかったのはいくつか外部機関から賞をいただけたことや、これまで出した研究成果に対してポジティブな問い合わせが来始めたこと。ただ、まだ満足のいく研究成果は出せておらず、なんとかあと2−3年以内に自分でも誇りに思える研究成果を出したいところである。

疲れが出たのか、ロンドンでのRC28学会参加後、大幅に体調を崩してしまい1週間ほど寝込んでいた。ここまで体調を崩したのは2年ぶりくらい。昨日くらいからようやくフルに復活して、再開している。

2021年12月26日日曜日

今年面白かった社会学論文10選(2021年)

2019年2020年と年末に面白かった社会学論文の10選を載せたが、今年も10本の論文を紹介することにした。例年通り、今年私が読んだものの中で、特に「面白い」と感じた10本で、今年出版されたとは限らない。

私の専門フィールドは社会学の中でも移民研究(migration studies)なので、移民研究関係の論文が多い。方法論としては、計量分析、オンライン実験、参与観察、文書分析、インタビュー、フォーカスグループ、歴史社会学的分析(の組み合わせ)となっており、地域としては、米国、ドイツ、ロシア、日本、中国、韓国、台湾となっている(ばらつくように意識したわけではない。)また、紹介の順番に大きな意味はない。

各論文のまとめは、私の視点からまとめたものであり、論文の著者らの強調点とは異なることがある。リンクを貼ったので是非実際の論文自体も読んで頂きたい。


また、論文に対する(主に私の勉強のためにつけた)感想・コメントもそのまま残している。私自身は、以下の論文を書いた先生方の足元にも及ばない無名の博士課程の院生であり、ここに紹介したレベルの論文は一生書けない気がする。よって、本来は偉そうにコメントできる立場ではないのだが、研究者の世界では、自分よりはるかに偉く、実績のある人の素晴らしい研究に対しても、(先行研究に積み上げるために)コメントをすることが求められる。そういう文脈の中で理解して頂きたい。



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Guilbeault, D., Baronchelli, A., & Centola, D. (2021). Experimental evidence for scale-induced category convergence across populations. Nature communications, 12(1), 1-7.


人は未知のモノや現象に出会った時にそれを切り出してカテゴライズする(例:色、親族関係等)。人間の心理・知覚に本能的に備わったカテゴリーがあるという考え方もあり得るが、カテゴライズの仕方は人によって多種多様であり、史上の様々な人口集団のカテゴライズの仕方が比較的に均質であることをうまく説明できない。


この論文では、人のカテゴライズの仕方は多種多様である(=人口サイズが大きければ大きいほど考案されるカテゴリーの多様性は増す)ものの、人口集団の人口サイズが大きくなるにつれて、人口集団内でのカテゴライズの仕方が収束し、人口集団間のカテゴリーも似通っていくということを、1400人の参加者を2人から50人までの複数の人口集団に分割したオンラインでのゲーム実験を使って実証している。なお、実験の設定・内容や細かい前提についてここに書くとあまりにも長くなるので、関心のある方は、元の論文を読んで欲しい。


この論文は、壮大なリサーチクエスチョンをうまく設定し、独特な手法でアプローチしており、とてもとても印象に残った。実験参加者同士はお互いに関する情報を一切与えられていないため、カテゴリー形成に人口集団内・集団間の権力関係が働く現実世界とはかけ離れているのが気になった。しかし、逆にいうと、そういった権力関係がなくても、人口集団間でのカテゴリーは似通っていくということを示唆しているのかもしれない。



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Browning, C. R., Calder, C. A., Boettner, B., Tarrence, J., Khan, K., Soller, B., & Ford, J. L. (2021). Neighborhoods, Activity Spaces, and the Span of Adolescent Exposures. American Sociological Review, 86(2), 201-233.


近隣効果研究(neighborhood effects research)では、物理的に近隣(neighborhood)にいることで、その場所の効果を受けることが仮定されることが多い。しかし、実際にどの程度の時間を人は近隣で過ごしているのであろうか?


本論文では、近隣効果研究の対象となることの特に多い青年期に着目し、オハイオ州コロンブス市在住の11歳から17歳(n=1405)を、1週間(季節は様々)に渡ってGPSで追跡し、本人がつけた行動記録とも付き合わせて空間情報を解析している。平均すると、青年の起床時間のうち、自宅で過ごす時間は60%、近隣(census tract)で過ごす時間は5.7%、自宅・近隣外で過ごす時間は34.3%であった。親所得が低いこと、非白人であること、不利が集積する近隣に居住すること、犯罪が多い近隣に居住すること、学校がない近隣に居住することは、近隣で過ごす時間と負に関連することが明らかになった。なお、この研究の「近隣」の定義であるcensus tractは、通常、4000人程度の人口が住んでいる区画とイメージするとわかりやすい。近隣の定義としてよく米国の研究で用いられている。


3年くらい前に第一著者の先生が所属大学のセミナーにきてこの論文の発表をしていた。実はその際には強い印象に残らなかったのだが、出版された論文を読んでみて、問題設定の書き方が面白いと思った。また、不利な近隣に住む子どもは一日の中で家で過ごす時間を長くするか、近隣の外に出やすいという知見は、近隣効果研究で観察される「近隣」効果の解釈にも影響を与えうるのではないか。なお、自宅と近隣を明確に区別していることは気になった。近隣効果研究では「自宅」と「近隣」の区別をここまで強くしているだろうか?



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Lersch, P. M., Schulz, W., & Leckie, G. (2020). The variability of occupational attainment: How prestige trajectories diversified within birth cohorts over the twentieth century. American Sociological Review, 85(6), 1084-1116.


世代内職業移動のコホート間の経験の相違を、コホート内格差に着目して、西ドイツで1919年-1979年に出生した人口のパネルデータを用いて研究している。具体的には成長曲線モデルを推定して、職業威信スコアの入職時(entry)のコホート内分散、同スコアの軌跡(growth)のコホート内分散同スコアの不安定さ(fluctuation)のコホート内分散を分析する。雇用関係が固定化されていた1950-60年代に入職したコホートでは、入職時、入職後の軌跡ともに威信スコアのコホート内分散が小さい一方、それ以前とそれ以降に入職したコホートでは入職時や軌跡の分散も大きいという知見を見出している。

この論文は、内容というより、手法の用い方・解釈の仕方が印象に残った。社会学でよくみるマルチレベル分析を使用した論文(この論文の「成長曲線モデル」もマルチレベルモデルの一種である)では、(実は)固定効果に主な理論的関心があることがほとんどで、わざわざマルチレベルモデルを推定しなくても良い(クラスタロバスト標準誤差を計算すればよい)のではないかと思うことが(私自身の研究に対する自省も含め)しばしばある。一方、この論文では関心は変量効果にあり、固定効果にはほぼ関心がなく、Online Appendixにまわされている。また、解釈しやすいコホートごとの切片の変量効果(威信スコアの入職時点のコホート内分散)、時間(スプライン)係数の変量効果(威信スコアの軌跡のコホート内分散)とともに、残差分散を”fluctuation variability”(不安定さの分散?変動の分散?)として積極的に解釈しているのも印象に残った。このような残差の解釈は、アウトカムが職業威信スコアだと成り立つだろうが、例えば身長のような強い連続性が理論的に仮定されるアウトカムの場合は解釈が難しくなる気がした。



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Liu, J. M. (2021). From “Sea Turtles” to “Grassroots Ambassadors”: The Chinese Politics of Outbound Student Migration. International Migration Review, 1-25. Advance Online Publication. doi: 10.1177/01979183211046572


移民研究では留学生の研究が盛んになっているが、受入国(欧米日)における留学生受容に着目した先行研究がほとんどであり、送出国側に焦点を当てた研究は少なかった。この論文では、世界最大の留学生送出国である中華人民共和国からの留学生を、1)政策文書の分析、2)中国政府主催の各種留学生向け宿泊付イベントでの参与観察、3)地方官僚と留学生へのインタビューという三つの手法を用いて研究している。


数ある主要な知見の一つとして、政府レベルの留学生政策は海外への留学生とその留学生の帰国を「海亀」("sea turtles")とみて経済・政治発展の要とする見方から、「草の根の外交官(民間大使)」("grassroots ambasadors")として地政学的な価値を強調するものに変わっていったことが指摘されている。しかし、留学生の帰国を促して省や市レベルの経済発展を重視する地方官僚や、欧米の価値観に触れた留学生の間では政府の意図が冷めて受け止められている。


「移民」としての中国人留学生は欧米だけでなく、日本の移民研究者の間でも注目を集めているが、この論文はそういった日本や欧米の先行研究を送出国側の視点から補完する論文として、とてもうまく位置付けられていた。膨らませれば一冊の本になるレベルだと思うのだが、それを一つの論文として非常に簡潔にまとめているのも、読む側からすると有難いことである。



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Gerber, T. P., & van Landingham, M. E. (2021). Ties That Remind: Known Family Connections to Past Events as Salience Cues and Collective Memory of Stalin’s Repressions of the 1930s in Contemporary Russia. American Sociological Review, 86(4), 639-669.


家族内では世代間で様々な記憶が継承される。社会の「集合的記憶」も家族によって伝達されているのだろうか?論文では、ソ連のスターリンによる大粛清に関する集合的記憶をケースとして、フォーカスグループでのインタビュー及びロシア全国に代表性のある質問紙調査の分析によって、この問題に答えようとする。


著者らは、先行研究とフォーカスグループから、回答者が大粛清に関して、1)認知していること(大粛清があったことを知っている)、2)正確な知識を持っていること(犠牲者数のスケールを把握している)、3)個人的に重要な問題だと考えていること、4)道徳的に重要な問題だと考えていること、を区別できる質問紙調査設計をしている。分析の結果、スターリンによって粛清された親族がいることは、全てのタイプの大粛清の記憶に関して、強い正の関連を示した。また、この強い正の関連は子供の頃に家族内で大粛清について話した経験をコントロールした上でも残るため、家族内での記憶の伝達というメカニズムの他に、親族が被害に遭うということ自体が、記憶を顕在化させることを示唆している。


本論文は、分析手法の細かいところは(少しネガティブな意味で)気になるところが多かったのだが、とにかくイントロと理論の書き方がうまく、読んでいてワクワクした。アメリカ以外では中国や西ヨーロッパががASRでよく取り上げられるが、ロシアが取り上げられることは少なく、コンテキストに関する記述(例:プーチンとメドベージェフのスターリンに対する扱いの違い)も面白かった。私もこういう優れたイントロと先行研究レビューが書けるようになれば、ASRいけるのかもしれない(いけない...)



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Hauer, M. E., Holloway, S. R., & Oda, T. (2020). Evacuees and Migrants Exhibit Different Migration Systems After the Great East Japan Earthquake and Tsunami. Demography57(4), 1437-1457.


移住システム論では、既存の人(例:親戚)や組織(例:企業)のネットワークの中で人が移動するため、ある地点から別の地点への移住の流れが出来上がるとその流れは安定的に継続するとされる。では大規模な災害が発生した時に既存の移住システムはどうなるのであろうか?


著者らは東日本大震災前後(2004-2016年)の日本の都道府県間の年ごとの人口移動のパターンを分析することでこの問題に対する答えを出す。住民基本台帳をベースにした人口統計の分析の結果、大震災前後では東北の被災県からの「移住者」(migrants)(別の県に住民票を移す人たち)の絶対数は大幅に増加するものの、移住先の選択パターン(例:福島県からの移住者が各都道府県を選ぶ確率)に大きな変化はなく、安定していることがわかった。ただし、住民基本台帳とは別に記録される「避難民」(evacuees)に関しては既存の移住システムとは統計的に有意に大きく異なる移住先の選択パターンを示し、近隣の県への移動が目立った。


被災地からの人口流出の絶対量は増えるものの、「移住者」の移動先の選択パターンは東日本大震災前後で大きく異ならなかったという点がとても面白いと思った。逆に、「避難民」が「移住者」と異なり隣接県への移住を選択する確率が高いというのは、当たり前に思えた。ただ、もちろん、理論的には大事だと思う。なお、方法はとても記述的で、各被災県から他都道府県への移住確率の各年間の「類似度」をHellinger distance (H)に換算して検定しているため、回帰分析が一切出てこない。こういう記述的な分析はとても好きなのだが、Hへの変換とその後の検定のテクニカルな部分の移民研究への応用や諸問題についてもう少し詳しい議論が欲しかった。


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Lee, C., & Suh, M. (2017). State building and religion: Explaining the diverged path of religious change in Taiwan and South Korea, 1950–1980. American Journal of Sociology, 123(2), 465-509.


東アジアの中で、なぜ韓国だけキリスト教人口比率が圧倒的に高いのか?この問題に対して、著者らは韓国のキリスト教に関する先行研究をレビューした上で、韓国の歴史を宗教・歴史社会学の諸理論から再考することで答えを見出そうとする。著者らの第一の主張は台湾と韓国の比較可能性である。台湾と韓国は共に日本による植民地化を経験するとともに、1950年代に中国大陸/北朝鮮からのキリスト教関係者を多く含む人口の流入を経験し、アメリカとの良好な関係・反共・プロテスタントの大統領(蒋介石/李承晩)というコンテクストの中で、1950-60年代前半は同程度のキリスト教人口の伸長を経験した。


しかし、1960年代以降、韓国ではキリスト教がさらに伸長したのに対し、台湾では伸長することはなく、この時期の両国の違いに答えがあるはずである。論文では、経済、宗教の三者の関係性の変化が先行研究で見落とされてきたことが指摘され、台湾と対照的だった韓国の朴正煕政権(1963-1979)の中央集権的な産業政策、政権による積極的なキリスト教(と仏教)の奨励・伝統宗教の冷遇を限定的な答えとしている。


韓国のキリスト教を台湾のキリスト教と比較するという視点が(私にとっては)新鮮、かつ納得のいくものだった。論文中の議論は多少拡散してフォローしにくく、結論も完全な納得というものではなかったが、私が歴史社会学の論文を読み慣れていないだけだからかもしれない。本来は分厚い本としてまとめた方が良い内容な気がする。韓国ではプロテスタントだけでなく、仏教も同時期に伸長したという指摘も面白かった。韓国内の地域間のキリスト教人口比率の分散を利用して、さらに細かく著者らの議論を検証していけばより面白いのではないかとも思った。


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Abramitzky, R., Boustan, L., Jácome, E., & Pérez, S. (2021). Intergenerational mobility of immigrants in the United States over two centuries. American Economic Review, 111(2), 580-608.


米国の過去2世紀にわたる、移民-移民の子ども、米国出生者-米国出生者の子どもの所得の世代間移動の趨勢を、数百万件の父-子のペアデータを使って、分析している。具体的には、国勢調査の1880年(父)-1910年(子)のペア、1910年(父)-1940年(子)のペア、General Social Surveyの1984年(父)-2006年(子)のペア、Opportunity Insightの1997年(父)-2015年(子)のペアデータを作成し、父の所得のランクに対する、子の所得のランクを分析している。。


結果として、どの時代においても、(ほぼ)どの出身国でも、移民の子どもは、米国出生者の子どもと比較して、より強い、所得ランクの上昇移動を経験していることがわかった。移民の子どもの米国出生者の子どもに対するアドバンテージは過去2世紀に渡って安定してしており、特に父所得が下位の移民の子どもの間で強い。こうした移民の子どものアドバンテージは、移民の親の居住地選択(子どもの上昇移動が可能な地域に移民が居住しやすいこと)によって部分的に説明される。


この論文は、社会学の論文ではなくて、経済学のジャーナル所収の論文なのだが、ディシプリンを問わず、今後の米国の移民研究全体に重大な影響を持つであろうことから、ここに残しておく。数年前からワーキングペーパーとしては出回っていて、実は1年前にも読んだことはあったのだが、ついにAERに掲載された。著者のスタンフォードのアブラミツキーとプリンストンのブースタンは、著名な移民研究者であると共に、米国国勢調査を氏名と年齢情報を使って紐付ける体系的な手法を考案して、方法やデータを公開していることでも有名である。



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Potochnick, S., & Hall, M. (2021). US Occupational Mobility of Children of Immigrants Based on Parents' Origin-Country Occupation. Demography, 58(1), 219-245.


米国の研究では、出身国による差異はあるものの、移民の子どもは、同レベルの社会経済的地位の米国出生・非ヒスパニック系白人の親を持つ子と比較した際に、職業的地位の上昇移動を経験する傾向にあることが数々の研究で指摘されている。こうした知見を生み出したこれまでの研究では、主にデータの制約から、移民の親の米国での職業と、その子どもの職業の連関を分析をしてきた。しかし、移民の親(移民1世)の職業的地位は移住前と移住後で大きく異なること(例:出身国では医師で、米国ではタクシー運転手)が知られており、本来ならば移民一世の移住前の職業をも分析で考慮に入れる必要がある。


著者らはEducational Longitudinal Studyの移住前の親職業の情報を再コーディングすることで、この問題を解決し、再分析を行った。分析結果としては、移住前に高い職業的地位だったが、移住後に低い職業的地位についた移民親の子どもは、米国で高い職業的地位についており、親の出身国での職業的地位を「回復」している傾向がみられた。


この論文は私の関心ともかなり近く、とても気に入った。著者らも述べていることだが、親が移住前に低い職業的地位で、移住後にも低い職業的地位の子どもも、ネイティブ人口と比較すると高い上昇移動をすることも分析で確認されており、職業的地位の「回復」のストーリーだけでは移民の社会移動における有利さを説明することはできないという点は付記しておく必要がある。また、実際には出身国で初職を経験する前に渡米している移民親(例:大学進学で渡米し、職を見つけて、定住)が多いため、親が初職を経験した後に米国へ移動した人口とその子どもに関する研究であることはより強調されるべきだと思った。



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Feliciano, C., & Rumbaut, R. G. (2020). Coming of age before the great expulsion: the story of the CILS-San Diego sample 25 years later. Ethnic and Racial Studies, 43(1), 199-217.


CILS(正式名称:Children of Immigrants Longitudinal Study)は、学術的に絶大な影響力のあった米国の移民の子どものパネル調査(1992年、1995年、2001年)である。この論文では、1992年の最初の調査から(ほぼ)25年後の2016年に行われたサンディエゴサンプルの追跡調査の結果を基に、CILSの移民の子どもの「その後」(2016年には平均37歳)に対して、インタビュー調査と質問紙調査をしている。


主要な結論として、52.7%が大卒以上となっており、この大卒以上の者のうち、70%以上がカリフォルニアの公立大学を卒業し、95%がミドルクラス的職業についていた。また、全体の69%が自分自身をアメリカのメインストリームの構成員と考えており、移民の子どもの「その後」は良好なものであることが、インタビューデータとともに報告、解釈されている


論文では言及されていないが、CILSは、アルハンドロ・ポルテスらのグループと、リチャード・アルバらのグループで、移民の子どもの将来をめぐって一大論争(例えばこの論文に対するコメントリプライ)を引き起こした調査でもある。どちらかというと、アルバらの予想していた(移民の子どもの将来はとても明るいという)未来に近い結果になっている(と私は思う。)この論文の著者らは移民の子どもの上昇移動を1990年代-2000年代初頭のカリフォルニアの移民受け入れの文脈に還元して説明し、今後、移民にとって状況が悪くなるかもしれないことを示唆することで、過去のポルテスとアルバの論争に関して強い結論を出すことを避けているようにも読めた。また、アメリカの教育重視の公立大学(例:カリフォルニア州立大学システム)が移民の社会移動に果たす役割はとても大きいことは日本の今後を考える上でも重要かもしれない。なお、特集論文である。