2018年12月28日金曜日

PhD2年目前半戦終了–冬休み到来–

課題を全部出して冬休みが来たので今学期の振り返りを少ししておく。

1. コースワーク
今学期は社会学大学院から2つ(「因果推論」と修論個別指導)、経済学大学院から2つ(「労働経済学」という看板の統計的因果推論の講義と「公共経済学」の演習)という設定だった。先学期と比べると著しくメソッドにフォーカスした学期だったように思う。なお、ブラウンの社会学大学院の人口学センター所属の院生は指定された経済学or文化人類学or公衆衛生学大学院のコースワークが選択必修になっているので他学部履修するのは特別なことではなく、社会学大学院の同期も3人一緒に経済学大学院のコースワークを履修した。成績は全てAをとれて、それは嬉しかった。

今学期のコースワークの大きな成果としては(1)計量分析に関する理解が大幅に進歩したこと、(2)経済学の論文の読解能力が増したこと、(3)経済学者がどんなことを考えていて、何を大切にしているかがわかり、社会学との違いについて考えを巡らせることができたことである。(1)に関してはいかに自分が今まで適当な理解をしていたかがわかって色々恥ずかしくなった。とりあえずあまり話したくない。(2)に関しては最近は社会学が伝統的に研究してきた分野への経済学が進出しており(特に教育社会学が伝統的に扱ってきた分野においてその傾向が強いのではないだろうか)、今後この力は役に立つのではないかと思う。ただ、一番重要だったのは(3)な気がする。学期中は毎週の木曜の昼休みに人口学センターで研究発表(出席必須)があり、外部/内部の経済学と社会学のスピーカーが交互に発表している。両学部から教員も聴衆として参加してのイベントなのだが、経済学の人が社会学の発表に対してする質問の背景が理解できるようになった。自分もいつか発表することになるかもしれないし、今後もPAAなどでは経済学者に応答をしなければならないと思うので、貴重な学期となったと思う(前回のPAAではUCLAの経済学の院生に結構クリティカルに突っ込まれたが、今はようやくその意味がフルに理解できる)。


ただ、経済学の因果推論だけにとらわれてしまうと何か重要なものを失う気がしている(何を失うのかの言語化はまだきちんとできていない。すいません)し、メソッドを極めるのは自分には無理なので正しく応用できるレベルにとどめようと思っている。ということで、来学期はメソッドのコースワークから離れて文化人類学部の人口学のコースワーク(Anthropological Demography)と、社会学部の教育社会学のコースワークの2つを取ろうと考えている。ちなみに文化人類学部の人口学のコースワークの教員は質的手法を使う人口学者としてとても有名であり(Demography、PDRに論文多数)、文化人類学者としても有名であり(ブラウン文化人類学部でテニュア持っている)、イタリア史の研究でも有名であり(著書多数)、かつ小説も書いてピューリッツァー賞を受賞・スピルバーグによって今度その小説が映画化されるというとてつもない人のようである。教えるのも上手いのに期待する。

2. 研究
2月末に下書きを提出しなければならない。米国における1990年代前半に出生コホートの5歳から14歳(7時点)、15-18歳(3時点)の二つのパネルデータを使って、移民の子どものテストスコアの母学歴による推移を成長曲線モデルで比較をしている。5-14歳のデータの方のpreliminaryな分析結果のアブストを国際社会学会のRC28の春季ミーティングに出していたのだが、口頭報告でアクセプトされたので、できるだけ行きたいと思う(大学からのfundingを調整中)。出そうと思った時すでに締め切りから数時間すぎており、しかも受付番号521番で、ポスターになるだろうと思っていたので嬉しい。一つ悩んでいるのは成長曲線モデルである。学力や体重など子どもの成長を記述的にみるには適しているとは思うのだが、推定する成長曲線のfunctional formが正しいという仮定が強すぎる気がしているのと共に、口頭発表で成長曲線モデルに詳しくない人に理解してもらうのが本当に難しい。特に難しいことをしているわけではないのだが、かなり複雑なことをしている印象を与えてしまうのをどうにか解決したい。

夏に某誌に指導教員と書いて投稿した論文がR&Rで戻ってきて、4月末までにまた再提出しなければならない。Reviewer1がとてつもなく細かく、先生も「ここまで細かいのは見たことがない」と驚いていた。。個人的にはかなりmajor revisionで厳しいのではないかと感じているのだが、なぜか先生はeasyと楽観的だった。まあどうなるにせよ、missing dataの勉強にはなった。

3. メサイア
今年はこちらでできた働きながらブラウンで計算機科学(CS)のマスターをやっている中国人の友人とメサイアをプロビデンスの退役軍人ホールへ観にいった。会場でマフィンやコーヒーが売っていて、それを食べながら聴いている人がいるのは衝撃だった。また拍手の際に「ヒューヒュー」のような声を出すのも驚きである。アメリカがこうなのか、たまたま今回のことなのかはわからない。

退役軍人ホールでのメサイア

メサイアに一緒に行った友人とは昨秋のIVCFのリトリートであったのだが、最近は1週間に一回はあっていて、気晴らしになる。会話で社会科学の話が出てこないのでコースワークや研究のことも思い出す必要がなく、社会学&近い学問やらない友人を作ることの大切さを痛感している。CSメジャーなのに英語の詩が大好きで、休日にわざわざNYCまで詩の朗読会にいくなどしている。意外なことに僕がすすめたNetflixのテラスハウス軽井沢篇にはまってしまい、鍋セットを購入までしてSeason1 Episode1で作られていた水炊きを再現してくれと頼まれたので頑張った。テラスハウスは、ゆっくりな日本の恋愛と同時に、日々映し出される食べ物が受けているようである。

友人宅で作った鍋

今年のイブ礼拝は大家さんに連れられてQuakerのMeetingに参加した。1703年に創立されたRI州ではかなり古い方のQuakerのMeeting Houseであった。予想通り途中で「内なる光」に導かれた方が突然歌い出して皆が続いたこと(おそらくQuakerの間で有名な賛美歌だと思われるが、歌詞的に賛美歌ではない可能性もある)、一人が短く話したこと(何を話したかは覚えていない)を除いては1時間ひたすら沈黙が守られていた。

クリスマスイブに行ったRI州LincolnのQuakerのMeeting House

さて、この辺にしたい。今日から休暇でハワイで1週間ほどゆっくりしてくる。






0 件のコメント:

コメントを投稿