2016年9月2日金曜日

テゼ共同体での5日間の記録

ベルリンでの研究滞在の日程が終了した後、7月29日(木)-8月3日(火)まで5泊6日でフランス東部のテゼ村にあるテゼ共同体にいた。学部の時に交換留学先でルームメイトだったフランス人のカトリックの親友とテゼで再会するという目的も兼ねていた。

帰国してから1ヶ月が経ってしまったが、以下、テゼのことを記しておく。少し細かいかもしれないが、テゼ共同体の紹介と共に、実際にテゼに滞在されることを検討している方に役立つかもしれない情報も記した。なお、以下の記事中の写真は私がとったものとフランス人の親友がとったものを許可を受けて使用している。

  • テゼ共同体とは?

テゼの鐘(写真:Vincent Perraud氏提供)
テゼ共同体を一言で説明すると、「エキュメニカルなキリスト者の生活共同体」ということになると思う。ちなみに、エキュメニズムとは分裂したキリスト教会の一致を目指す実践的な運動のことを指す(と私は理解している)。

テゼ共同体はカルヴァン派の牧師家庭で育ったブラザー・ロジェによって設立されたが、現在はプロテスタント諸派、カトリックのバックグラウンドをもつ数十名のブラザー(修道士)が立場を超えて共同生活をしている。なお、ブラザーは生涯独身の誓いを立てているようだ。

テゼの特徴は若者を受け入れ、若者が祈りの生活を共にする場所を提供していることにある。テゼには年中無休で世界中から若者が集まっており、私が行った7月末-8月初旬には3000名程度の若者が来ていた。ほとんどの若者は1-2週間の滞在であるが、何週間でもいることが可能である。出身国はフランス、ドイツ、イギリス、オランダ、スペイン、イタリア、ポルトガル、ポーランドを中心に、全世界に及んでいた。私が訪問した間に中国・韓国人の方は何人か見かけたが、日本人は私一人のようであった。なお、若者中心であるが、すべての年代層の方がテゼに年中参加しており、ご高齢の方専用のプログラム等の用意もあるようである。ホームページをみると特定の年齢層のための一週間等が時折設定されていることも記してある。

  • テゼでの一週間

私は日程上、金曜の夜に到着し、水曜の早朝に帰国の途についたのであるが、テゼの一週間は月曜から始まり、日曜の聖餐で終わる。なので、日程等の制約がなければ日曜夜に到着し、次の日曜午後に去ることが推奨されている。

<平日(月-金)>
08:15 朝の祈り→ 朝食
10:00 聖書メッセージ(byブラザー)& 静まりの時
12.20 昼の祈り→ 昼食
15:15 グループミーティング
17:00 お茶&お菓子
17:30 ワークショップ(選択制)
19:00 夕食
20:30 夕の祈り(金曜には夕の祈りの後、「十字架の祈り」がある)

<土曜>
15:15 ワークショップ(選択制)
17:00 お茶&お菓子
17:30 ワークショップ(選択制)
20:30 夕の祈り(復活を記念するキャンドルサービス有)

<日曜>
8:45 朝食
10:00 聖体拝領(聖餐)
13:00 昼食
19:00 夕食
20:30 夕の祈り

  • テゼでの言語

テゼでは英語ができれば基本的に問題なく生活できる。ただしフランス語がわかるとテゼで起こっていることをよりよく理解できるようになると思われる。私は英語(と日本語)を使え、ドイツ語が少しばかり理解できるという状態だったのだが、親友のフランス人と一緒に行動しており、彼が説明してくれたおかげで英語やドイツ語だけではわからない情報も手に入れることができた。特に私が参加した日の聖餐はほとんどの時間がフランス語であった。

後述する朝の聖書メッセージの資料は欧州諸国の言語、アラビア語、韓国語、中国語にはすべて翻訳されていた。残念ながら日本語はなかった(日本から行かれる方が少ないのだろう)。

  • 聖体拝領(聖餐)


日曜日や平日の祈りの中での聖体拝領(聖餐)で出されるパンとぶどう酒はカトリックの司祭による早朝のミサで聖別されている。ただし、テゼ共同体はカトリックでもプロテスタントでもない、ということになっている。通常、カトリックではカトリックでない者が聖体を拝領することを認めていないが、テゼにおいてはプロテスタントや正教会の者もカトリックと同じパンとぶどう酒にあずかることが事実上可能となっている。なお、テゼを創始したブラザー・ロジェはカルヴァン派の牧師家庭に生まれ、生涯カトリックの洗礼を受けることはなかったようであるが、教皇ヨハネ・パウロ2世はブラザー・ロジェのテゼでの働きを高く評価していたようである。

「和解の教会」の中の様子
(聖体拝領や祈りの時には満員になる)
もちろん、カトリック式の聖体を拝領したくない者のために、「祝福されたパン」(Blessed Bread)も用意されている。これは朝食用のパンを祝福したもので、東方正教会の伝統からくる慣習のようである。

なお、オンラインで調べるだけでも、カトリックではない者がカトリックの聖体を拝領していることにカトリックとプロテスタント双方の保守勢力から様々な批判があるようである。テゼにおけるプロテスタントの聖体拝領がどのようにカトリック教会で公式説明されているのかはわからない。どなたかご存知であれば教えていただきたい。

私はエキュメニズムをこの地上では実現不可能であるにも関わらず口にされる綺麗事だと考えていた。だが、皆が同じパンと同じ杯に同じ時間にあずかるというクリスチャンにとって最も重要で象徴的な出来事をテゼ共同体が実現させていることを目の当たりにし、私のこれまでの見方が悲観的すぎたのかもしれないと反省させられた。(この象徴的な出来事を実現することがこれまでどんなに難しいことだったかは教会の歴史を少し勉強すればすぐにわかることである。)

  • テゼの祈りと賛美

テゼで貸し出される讃美歌集
(テゼ内のお土産屋さんで購入可能)
テゼの中心にあるのは「祈り」である。テゼの「祈り」は短い賛美の言葉(多くの場合聖書から取られている)を静かなメロディーにあわせて繰り返し歌う形式であり、「和解の教会」(Church of Reconciliation)という中央にある巨大な建物で全員(2000~3000人?)で行われる。朝昼夕のどの祈りかにもよるが、時間は30-60分程度である。祈りが終わった後も自由に残って有志で歌い続けることができる。

ここでの言語は英語が中心というわけではなく、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、オランダ語等が同じ程度の割合で歌われている。歌詞はアルファベットなので自分の知らない言語でも発音することはでき、配布されるテゼ専用の讃美歌集に翻訳されているので意味は知ることができる。以下のYoutube動画はD.ボンヘッファー作詞の”Aber du weißt den Weg für mich”というテゼの祈り(賛美)の一つだが、動画の途中に祈りの様子が映っている。


  • 聖書メッセージ

テゼは瞑想的に祈る(歌う)ことが中心で、聖書を学ぶことがないという批判を目にすることがあるが、平日は毎朝10時から世代別に集まって聖書のメッセージをブラザーから聴く。メッセージは毎朝30分程度で短かったが、かなりよく準備されたものだと感じた。世代は15-24歳、25-34歳、35歳以上のような形で区切られている。ブラザーは意外とユーモラスで、話も興味深く聞けた。

  • 静まりの時
静まりのための公園(中心に池がある)
テゼでは静まりの時が重視されており、朝の聖書メッセージが終わった後は誰とも話さずにメッセージ時にブラザーから出された質問について1時間-2時間ほど考えるようにすすめられる。声を出してはいけない公園があり、多くの人が静まりの時間はその公園で過ごしている。公園の中心部には池がありその周りを歩きながら考えを巡らせている人もいる。もちろん、周囲の芝生で座ったり寝そべったりすることも可能。

テゼに何週間も滞在している人はオプションとして「A week in silence」(静まりの1週間)を選ぶことができ、このオプションを選ぶとほとんどの時間を誰とも話さずに1週間を過ごすことになるようである。

  • スモールグループミーティング

テゼでは月曜日の世代別聖書メッセージの際に、5-10人程度のスモールグループに割り振られる(火曜以降に来た人も随時グループに割り振られる)。グループはなるべく国籍等がバラバラになるように調整されており、私のグループはイギリス人2人、オランダ人1人、フランス人2人、ドイツ人4人、ポルトガル人2人、日本人1人(私)という構成であった。グループでは昼食後15:15に好きな場所に集まって朝聞いた聖書メッセージについて2時間ほど話し合う。

興味深いのは、スモールグループは金曜(グループ活動最終日)まで自分の身分を明かしてはいけないというルールであった。これはよく考えられたルールで、牧師や神父等の聖職者、または医者や大学教授等の社会的権威のある人が、グループディスカッションの主導権を握ってしまうことのないようにするためだと思われる。私は水曜朝に帰国しなければならなかったので、火曜夜にグループメンバーにこっそり職業等を教えてもらったが、一番聖書に詳しそうであったイギリス人は聖公会の司祭となるべくケンブリッジ大学神学部在学中の神学生であった。他にはドイツの小学校の宗教音楽の先生、ドイツの社会福祉士、オランダのカウンセラー等々であった。

  • テゼでの食事

テゼの夕食
テゼでの食事は質素であった。配給所に並んで食事を受け取る。食事の配給カードは宿泊時の寄付(下記)をした際にもらえるシステムになっていた。主食は朝昼夕ともフランスパンで、それにチェコレートやバターがついている。食べない人が余った分をおいておく場所があり、お腹の空いた人は余りものをおかわりとして食べることが許されている。食品の持ち込み等は制限がないので、お腹すきそうな人はカロリーメイト等を持参されることをお勧めする(ただし冷蔵庫はない)。


  • ワークショップ(選択制)

英国のEU離脱に関するワークショップ
(非EU圏の参加者は私だけだった)
ワークショップは選択制だが、様々なものが用意されている。私が土曜日に参加をしたのはブラザー・ロジェに関する映画をみるワークショップであり、月曜日に参加をしたのが多文化共生をゲームで考えるワークショップ、火曜日に参加したのがイギリスのEU離脱に関するワークショップであった。

ワークショップをオーガナイズしているのはテゼに1週間以上いる滞在者の方だったり、ブラザーだったりと様々である。

ちなみにEU離脱ワークショップは、たまたまテゼ訪問中であった聖公会のイギリス人司祭の方が、世論調査等のデータを交えて話してくれた(司祭の方はもともと社会疫学の研究者だったらしくかなりきちんとした統計分析だった)が、残念ながら期待していたEU離脱と聖公会の立場(あるいはキリスト者)との関連は少なかった。容易く想像できることではあるが、テゼに来ていた人のほとんどはイギリスのEU離脱に失望していた。

  • テゼに来る人々の宗教的バックグラウンド


創始者ブラザー・ロジェ(1915-2005)の墓
(写真:Vincent Perraud氏提供)
テゼはカルヴァン派のブラザー・ロジェによって始められたが、エキュメニズムの体現を目指す場所である。よって、宗派等について聞くのはよくないと思いつつ、やはり気になったので出会う人々にバックグラウンドを聞いてみた。データ等はないようであるが、少なくとも私の滞在中にテゼに来ている人々はどちらかというとカトリックの方が多いように感じた。これはテゼがカトリックが強いフランスにあることも関係しているかもしれない。加えて、私が出会ったアメリカ、カナダからの参加者は皆カトリックであり、ポルトガル、スペイン、イタリア等からの参加者ももちろんそうであった。プロテスタント(聖公会を含む)はイギリス、オランダ、ドイツ、北欧からの参加者に多かった。

プロテスタントの内訳としては、やはり各国の「合同教会」(日本でいうと「日本基督教団」)のような「メインライン」の教会に所属している人が多いように思われたが、私の参加していたスモールグループにはペンテコステ派の人もいた。私自身は19世紀に聖公会から分離独立したかなり保守的なプロテスタントの一グループの中で育ったのだが、アジア地区担当のブラザーと個人面談をした際にそのことを話すとかなり喜んでくれた(逆に言うと僕のようなバックグラウンドの人は少数派なのだと思われる)。

なお、クリスチャンではないけれども、スピリチャルなものを求めてやってきた人にも出会ったので、全員がクリスチャンというわけではなさそうであった。

  • テゼまでの交通

行きはベルリンからであったため、Berlin→(列車)→Frankfurt→(TGV)→Chalon-sur-Saône→(列車)→Mâcon Ville→(バス)→Taizeという経路であった。帰りはTaize→(バス)→Mâcon Ville→(列車)→Lyon→(列車)→Genevaという経路で、ジュネーブから飛行機に乗った。ヨーロッパの主要な街からの交通手段はホームページのここに細かく記載されている。

Taizé – Communautéのバス停
(写真:Vincent Perraud氏提供)
基本的にはMâcon Ville駅、Chalon-sur-Saône駅、Mâcon-Loché TGV 駅のどこかまで辿り着き、そこからテゼに向かうバスに乗ることをおすすめする。テゼの宿泊所にチェックインしたい場合、降車すべきバス停はTaizé – Communautéである。間違えてTaizé – Mairieで降りてしまうと重い荷物を持って坂を登らなければならない。なお、祈りの時間中はチェックインカウンターは閉まっているので祈りが終わるまで待っている必要がある。

  • テゼの予約

テゼでの宿泊の予約はネットを通して行うが、当日突然テゼ共同体に現れて「泊まりたい」と言っても大丈夫なのではないかと思われる(もちろん予約されることを強くおすすめする)。宿泊費は寄付制であり、出身国と年齢によって基準が違う。日本から来る人は欧州諸国(30歳以下)と同じ1泊7.50-10.50ユーロ(食事含)を求められた。

テゼに4週間以上いる予定の場合、最初の1週間は寄付を求められるが、それ以降はテゼの活動を手伝いながら滞在することで寄付を求められなくなるということである。実際に半年-1年の間、テゼで生活している若者にも出会った。人生にブランクができた場合、フランスまでの航空券さえ購入できれば、テゼで1年を過ごすのもいいかもしれない。

  • テゼでの宿泊

基本的には寝袋とテントを持参することが推奨されている。ただ、私のように手ぶらでいってもドミトリー(ログハウス)に入ることができる。一つのドミトリーは10名程度収容でき、簡素なベッドが用意されている。寝袋を持ってきていない場合、ブランケットをかりることができる。シャワー等はトイレに簡素なものがついている。綺麗好きな人の場合、最低限自分の寝袋を持参することをお勧めする(ブランケットは綺麗とは言えない)。

  • 日用品・お土産の買い物

テゼスタイルの十字架のネックレス
(多くの人が着けている)
日用品を毎日時間限定で購入可能なOyakという場所があり、石鹸やシャンプー等はそこで安く購入することができる。また簡単なお菓子も売っている。この区画で、夕の祈り以降、ピザやビールも購入が可能で、少々騒ぐことも許されている(ただし、外から持ち込んだアルコールはチェックイン時に預け、テゼで飲むことはできない)。私がいた7月末-8月初旬は夏休み中ということもあって、15歳前後の若者がOyakで踊ったりゲームをしたりとかなりはしゃいでいた。24歳の私は少し近づきづらかった。

なお、ポストカードやテゼのブラザーたちが作った陶器などのお土産を買う場所も教会の隣にある。人気があるのはテゼを象徴するテゼスタイルの十字架のネックレスである。値段も5ユーロ前後でリーズナブル。


  • その他(Wifi等)

WifiはOyak(上記)で30分カードを購入し、指定されたスペース(小屋)で24時間使用することができる。共用パソコンが2台あり、そちらも30分カードを購入して使用することが可能である。宿泊するドミトリーには鍵等がないので、パソコン等は貴重品を預ける施設に預けておく方が良いかもしれない。

なお、Taizeは電波は良いようなので、フランスで使用可能なSIMカードを購入されたりしていた場合、問題なく使うことができると推測される。

  • テゼの霊性と他との比較
キリスト教会内で有名な歴史的人物や特定の教会・教派を指して「〇〇の霊性」や「△△の霊性」という表現が用いられているのを目にする。このような表現を使う人々は暗に「〇〇」と「△△」の「霊性」を区別・比較するためにこのような表現を用いていると思われる。

「霊性」の定義を調べても論者によって異なり曖昧な言葉だと思うのだが、テゼの霊性を他と比較するために「霊性」を「特定教会・教派の礼拝に参加した時にその礼拝の集合的状況(参加者の雰囲気、賛美のメロディ・歌詞、礼拝中のメッセージ、建物の外装・内装等の状態の集合)が一人一人に生じさせる心の状態」と定義する(*)と、テゼの霊性は「低い安定した心の状態」と表現できると思う。「低い」とはどういう意味なのかというと、一部のプロテスタントの集会(例えばペンテコステ派の教会でヒルソングのワーシップソングを歌うような場合)にみられるような精神状態の高まり?を経験する瞬間はほぼないということである。「低い」というよりも、「静か」といった方が適切かもしれない。「安定」というのはその「低い」(静かな)状態がテゼにいる期間中は継続されるということである。私のフランス人の親友は小さい頃からテゼに何度も足を運んでいるが、このテゼの霊性を「波を立てない」という言葉で表現していた。

(*上記の霊性の定義は霊性の神学等を一切勉強したことのない私独自のものであり、神学的には霊性が神との関係の特定の状態であると考えられるのかもしれないし、個人のレベルでは測定できないものと考えられるのかもしれない。その場合、心理的・社会的レベルのみから捉えた上記の霊性の定義は不適切になるであろう。)

このテゼの霊性は私にあっていた。テゼの賛美は同じフレーズを何回も繰り返す(例:"Jesus, Remember me when you come into your kingdom")ものであり、ヒルソングのワーシップのように歌詞の意味やメロディーが高揚する瞬間が設定されていない。もちろん、ヒルソングのワーシップソングを否定するものではない(私が好きな曲もたくさんある)が、静かに落ち着いて持続的に心を神に向けることをテゼの霊性は可能にしているように感じた。

以上、日本からテゼにいかれる方がネット検索することも想定して、少し細かく書いてみた。情報には正確を期したが、私の勘違いで誤っている可能性や、時期等によってプログラム・交通手段が変更される可能性もあることは付記しておきたい。

2016年9月1日木曜日

ベルリン社会科学サマースクール(2週目)

7月17日(日)より、7月28日(木)までの間、ベルリンにて開催されていた社会科学のサマースクール(Berlin Summer School in Social Sciences)に参加していた。帰国後、研究会、学会、旅行等でバタバタしていたので1ヶ月ほど過ぎてしまったが、二週目の内容もメモ程度に残しておきたい。

*本記事はベルリン社会科学サマースクールに関する二回目の記事で、一回目は前回の投稿(ベルリン社会科学サマースクール(1))を読んでいただきたい。

ベルリン社会科学研究センター(通称:WZB)
一週目はアメリカとヨーロッパ各国の著名な社会学者・政治学者・経済学者を読んでのレクチャーであったが、二週目は研究テーマごとに四つの分科会に分かれ、午前中にドイツの若手研究者から最新の研究や調査についてのレクチャーを受け、午後にサマースクール参加院生の研究発表を講師の先生も含めて皆で聞き、コメントをしあうという流れであった。開催場所は25日(月)にドイツ社会科学研究センター(WZB)で講義がなされ、残りは一週目と同じくフンボルト大学社会科学大学院で開催された。フンボルト大学とWZBは電車を乗り継いで30分程度の距離。

四つの分科会は"External Governance, Europeanization, and Global Norms"、"Social Struggle and Globalization"、"Citizenship, Migration and Social Inequalities"、"Democracy at the Crossroads"である。分科会名をみてのとおり、「社会科学」といってもいわゆる「政治学」と「社会学」専攻の者が興味をもつテーマであり、それ以外(「経済学」)はほとんどいなかった。

私は"Citizenship, Migration and Social Inequalities"(シティズンシップ、移民、社会格差)分科会へ参加した。

以下、一週間の概要と感想を記す。

7月25日(月)午前:講義(Dr. Susanne Veit ドイツ社会科学研究センター)
        午後:院生発表
7月26日(火)午前:講義(Dr. Jan Fuhse フンボルト大学)
        午後:院生発表
7月27日(水)午前:講義(Dr. Ruth Diltmann ドイツ社会科学研究センター)
        午後:院生発表
7月28日(木)午前:講義(Dr. Marc Helbling  バンベルク大学)
        午後:院生発表(⇦私の発表はここであった)
        夕方:閉会式&パーティー

講義の中で印象に残ったのは月曜日の講師の研究チームの発表であった。ドイツにおけるトルコ系に対する就職差別とその差別の細かいプロセスを調べるために、学歴・職歴・スキルは類似させ、フォトショップで加工した顔と名前によってエスニシティ(トルコ系)を判別できるようにした偽の履歴書を様々な企業に送って、トルコ系がシグナリングされることが採用面接まで呼ばれる可能性を低減させるかの調査研究をしていた。この手の研究はこれまでにも幾つか読んだが、はるかに規模が大きかった。7000通の偽CVを産業や企業規模を変えて送付し、推薦書の内容もいろいろなものを用意し、コントロールグループとして他のエスニックグループも加えていた。

日本でこのような企業を騙す研究は倫理上許されないと思われ、もちろんドイツでも微妙なラインらしいが(裁判も想定して弁護士をつけて研究しているらしい)、偽の「卒業証書」「就業証明書」までつくりあげ、写真も同じ顔をトルコ系・ドイツ系・アジア系の肌、目の色にPhotoshopで加工する徹底ぶりには研究者の執念を感じた。

私の研究発表は最終日の28日(木)であった。詳細は省くが(いつか論文を出せた時に研究の詳細を書きたい)、計量社会学的な手法を用いて移民の帰化の問題を扱った研究を2つ発表した(それぞれ修論の章になる予定)。日本では、同じテーマを計量社会学的な手法で研究している人がほぼいない中、周りに興味をもってもらうのに苦しんでいた(いる)のだが、ドイツでは逆に同じような研究をしている人が多く、コメントもかなりたくさんいただけた。

このサマースクールがフンボルト大学の院生とポスドクの方々で運営されていたことは印象的だった。日本で学生がこの規模の予算の自主運営プログラムをはしらせている大学があるのかはわからないが(サマースクールには米国や欧州各国から2週間にわたって有名な先生を数名呼んでおり、参加学生には航空券代が支給される)、日本でもいつかこのようなサマースクールがあったら面白いだろう。

私は発表資料を他の人への「譲渡自由」という形で関心のある人に配ったのだが、私と同一のテーマを研究しているドイツの大学の先生にまで資料が渡り、後日メールがあり、やりとりが始まっている。ヨーロッパでのコネ作りという意味でも大変有益な二週間であった。

最後に、このサマースクールは数年前から毎年行われているらしいが、日本からの参加は私がはじめてだったらしく、今回は唯一の東アジアの大学からの参加であった。来年以降、修士からポスドクの方まで、是非申し込みを検討されることをお勧めしたい。

→一週目についてはこちら