実はメサイアを聴くと精神が安定するので、忙しい時とか精神的にしんどい時は寝る前・寝ながら・朝起きた時・作業しながら聴いています。たぶんもうすぐ自分の人生で一番長い時間再生した曲になると思います。メサイアの中でも一番好きなのは第Ⅲ部の最初の"I Know That My Redeemer Liveth"です。特にYoutubeの以下の動画が気にっています。皆さんもよろしければどうぞ。
I know that my redeemer liveth, and that He shall stand at the latter day upon the earth: And though worms destroy this body, yet in my flesh shall I see God. For now is Christ risen from the dead, the first-fruits of them that sleep.
テゼの中心にあるのは「祈り」である。テゼの「祈り」は短い賛美の言葉(多くの場合聖書から取られている)を静かなメロディーにあわせて繰り返し歌う形式であり、「和解の教会」(Church of Reconciliation)という中央にある巨大な建物で全員(2000~3000人?)で行われる。朝昼夕のどの祈りかにもよるが、時間は30-60分程度である。祈りが終わった後も自由に残って有志で歌い続けることができる。
ここでの言語は英語が中心というわけではなく、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、オランダ語等が同じ程度の割合で歌われている。歌詞はアルファベットなので自分の知らない言語でも発音することはでき、配布されるテゼ専用の讃美歌集に翻訳されているので意味は知ることができる。以下のYoutube動画はD.ボンヘッファー作詞の”Aber du weißt den Weg für mich”というテゼの祈り(賛美)の一つだが、動画の途中に祈りの様子が映っている。
このテゼの霊性は私にあっていた。テゼの賛美は同じフレーズを何回も繰り返す(例:"Jesus, Remember me when you come into your kingdom")ものであり、ヒルソングのワーシップのように歌詞の意味やメロディーが高揚する瞬間が設定されていない。もちろん、ヒルソングのワーシップソングを否定するものではない(私が好きな曲もたくさんある)が、静かに落ち着いて持続的に心を神に向けることをテゼの霊性は可能にしているように感じた。
7月17日(日)より、7月28日(木)までの間、ベルリンにて開催されていた社会科学のサマースクール(Berlin Summer School in Social Sciences)に参加していた。帰国後、研究会、学会、旅行等でバタバタしていたので1ヶ月ほど過ぎてしまったが、二週目の内容もメモ程度に残しておきたい。
四つの分科会は"External Governance, Europeanization, and Global Norms"、"Social Struggle and Globalization"、"Citizenship, Migration and Social Inequalities"、"Democracy at the Crossroads"である。分科会名をみてのとおり、「社会科学」といってもいわゆる「政治学」と「社会学」専攻の者が興味をもつテーマであり、それ以外(「経済学」)はほとんどいなかった。
私は"Citizenship, Migration and Social Inequalities"(シティズンシップ、移民、社会格差)分科会へ参加した。
7月17日(日)より、7月28日(木)までの予定で、ベルリンにて開催されている社会科学のサマースクール(Berlin Summer School in Social Sciences)に参加している。このサマースクールはフンボルト大学のベルリン社会科学大学院(Berlin Graduate School of Social Sciences)、ベルリン社会科学センター(Wissenschaftszentrum Berlin für Sozialforschung, 通称WZB)が大学院生のために毎夏合同で開催している。すべてフンボルト大学の大学院生によってオーガナイズされている。
今年のテーマは”Linking Theory and Empirical Research”で、1週目に社会科学の理論と方法に関して異なった立場の教員がレクチャーを繰り返し、皆でディスカッションを行う。2週目はそれぞれの研究テーマごとに4つの分科会に分かれて研究交流を深める。昨日で1週目のプログラムが終了した。私は来週、「移民・市民権・社会格差」分科会に参加予定。
7月18日(月)講義&演習① Epistemological Foundations of Methodological Paradigms
Sanjay Reddy(The New School for Social Research)
Gilbert Achcar(University of London)
7月19日(火)講義&演習② Causation and Explanation in the Social Sciences
Macartan Humphreys(Columbia University)
Hendrik Wagenaar(University of Sheffield)
7月20日(水)連邦議事堂視察&難民による抵抗運動視察
7月20日(木)講義&演習③ Concepts as Building Blocks of Theories
Vera Troeger (University of Warwick)
Donatella Della Porta (European University Institute)
7月21日(金)講義&演習④ Linking Micro and Macro Perspectives
Bob Jessop (University of Lancaster)
Nina Glick-Schiller (University of Manchester)
7月22日(土)ワークショップ Methodological approaches to studying the global economy - The micro-global approach to financial markets
Karin Knorr Cetina(University of Chicago)
Sanjay Reddy (The New School for Social Research)
Kesler, C., & Bloemraad, I. (2010). Does immigration erode social capital? The conditional effects of immigration-generated diversity on trust, membership, and participation across 19 countries, 1981–2000. Canadian Journal of Political Science, 43(02), 319-347.
Christel KeslerとIrene BloemraadがCanadian Journal of Political Scienceで発表した論文。Irene BloemraadはUCバークレーの教授で、社会学における移民研究、特に米加比較で注目されている研究者。Christel Keslerは若手で、おそらくバークレーでIrene Bloemraadの指導を受けていたのだと思われる。
論文で使用されるデータはWorld Value Surveyのうち「発展した民主主義国家」(advanced democracies)19カ国で1980年代、1990年代、1990年代半ば、2000年代に各国で行われた調査データファイルを合併している。サンプルサイズは従属変数によるのだが、レベル2(カントリーイヤー)は47-60で、レベル1(個人)は66,573-77,756である。
多文化主義スコアはBantingとKymlickaが作成した三値のMulticultural Policy Index(MCP)を二値に変換している。この指標は私も使ったことがあるが、指標自体の問題とともに、著者らが同一国のすべての年で同じ値を投入していることに一定の問題があると思われる(現在のMCPは年代ごとに指標が作成されているが、KeslerとBloemraadが指標を使ったころには指標は1時点だったのかもしれない。いずれにせよ、各国に時間固定のスコアをわりふっただけではベースラインモデルの各国ダミーにMCPの違いがbetween country effectとして吸収されてしまい、時間変化(within country effect)をみることを主張している著者らの分析戦略に反してしまうと私は考える。この問題について後述する)。
冒頭で、詩篇とは神が私たちに呼びかける声というよりは、歴史的に蓄積し、現代にも権威をもつ「我々共通の人間性」(our own common humanity)の声であることが宣言される。
The Psalms, with a few exceptions, are not the voice of God addressing us. They are rather the voice of our own humanity–gathered over a long period of time, but a voice that continues to have amazing authenticity and contemporaneity. It speaks about life the way it really is, for in those deeply human dimensions the same issues and possibilities persist. (pp.1-2)
ブルッゲマンにとって現代世界で用いられている言語には二つの種類がある。最初にあげられるのは「実証主義的な言語」(positivistic language)で、典型的には自然科学や社会科学で用いられる。実証主義的な言語は、現実を記述し、管理をすることができる言語である。もう一方の言語は「大胆で、象徴的な言語」(bold, symblic use of language)であり、典型的には創世記の神の天地創造の言葉として用いられている。この種の言語は、現状にはないものを創りだし、そのことによって希望を産む。詩篇に使われているのは後者の「大胆で、象徴的な言語」である。その上で、ブルッゲマンは詩篇を「実証主義的な言語」として捉える方向性に警鐘を鳴らしている。
Again, a long-standing practice (going back to very early Christian interpretation) is to treat the Psalms as claims about Jesus Christ... It is not easy to know how to assess such a practice... I suggest such “ spiritualizing” tends to tone the Psalms down and avoid the abrasive and offensive elements. On balance, I believe it more helpful to avoid such practice.We will be helped to a more genuine piety and an authentic faith if we engage the Psalms as poetry about our common, particular, humanness.(p.45)
本書で少し残念だったのはタイトルがPraying the Psalmsであるにもかかわらず、ブルッゲマンのPsalmについての本書での解説がいかにPrayingにつながるかがあまり議論されていなかったことだ。もちろん、Psalmのテクスト自体が「祈り」であるということなのであろうが、もう少しPrayingの意味を深めてくれたら親切であった気がした。